八万湯

八万湯
福岡県北九州市八幡東区祇園1
設計 村野藤吾?
竣工 1961(昭和36)年頃?
撮影 2005年10月
村野藤吾の設計ではないかと言われている銭湯です。ただし、この角度からでは村野らしさを見出すことは難しい。最初に見たときは何かの間違いじゃないかと半信半疑でしたが、敷地の奥に入ってみると印象はガラリと変わります。
【2017/9/22追記】
この建築は村野藤吾の設計ではありません。
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なるほど、確かにこの曲線や色遣いは村野さんかもしれない。塔屋も角度によって見え方が異なるなど、何気に手が込んでいますね。読売会館(東京都、1957、現 ビックカメラ有楽町店)の塔屋を思い出します。

このエントランス側は他の住宅が建て込んで民家の裏庭のような雑然とした状態になってしまっています。たぶん竣工当時のエントランス側は広々としていたのでしょう。

末広がりのポーチで男湯・女湯の出入口を分けています。

内部には入っていませんが男湯よりも女湯が大きいらしい。これは男は工場で入浴するので利用者は女・子供が中心だったためとのこと。近くには新日鐵の大規模な社宅(桃園団地)がありました。現在、この銭湯はアトリエに使われています。
村野藤吾の設計だと確定していないということは、所有者・村野事務所の双方に記録が残っていないのでしょう。もちろん作品集にも未掲載。
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このエントランス側は他の住宅が建て込んで民家の裏庭のような雑然とした状態になってしまっています。たぶん竣工当時のエントランス側は広々としていたのでしょう。

末広がりのポーチで男湯・女湯の出入口を分けています。

内部には入っていませんが男湯よりも女湯が大きいらしい。これは男は工場で入浴するので利用者は女・子供が中心だったためとのこと。近くには新日鐵の大規模な社宅(桃園団地)がありました。現在、この銭湯はアトリエに使われています。
村野藤吾の設計だと確定していないということは、所有者・村野事務所の双方に記録が残っていないのでしょう。もちろん作品集にも未掲載。
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