城山小学校平和祈念館02
城山小学校平和祈念館の続き。今回は撮影可能な展示物をいくつか紹介する。これは林重男氏が原爆投下から2ヶ月後の1945・S20年10月に撮影したパノラマ写真の一部。左奥が城山国民学校(当時)、右手前が爆心地。 pic.twitter.com/G7s2jNUUGd
— タケ (@take_all_a) August 10, 2023
だいたい同じアングルの現在(Googleマップ3Dモードのキャプチャ)。左の赤丸が城山小学校平和祈念館で、右の矢印が爆心地。 pic.twitter.com/RXNWLcBXrd
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これも林重男氏の写真。校舎以外はほとんど焼け野原だ。林重男氏は原爆投下後の広島・長崎を早い時期に撮影したカメラマンとして知られる。キャプションの通り、原爆の衝撃で脆くなった校舎の一部が、その後の風雨で崩壊した。 pic.twitter.com/EecMsRh42H
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次は原爆投下後の最初期に撮影された校舎の写真で、前述の崩壊はまだ発生していない。撮影者の藤田哲也氏は、竜巻の強さの指標「藤田スケール」の考案で有名な気象学者だ。 pic.twitter.com/RbQDdKO8v8
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米軍が撮影した校舎の階段室(現在の平和祈念館)。前回述べたように、中央部の窓はもともと円形だったことが分かる。壁面の縞模様は空襲を避けるための戦時迷彩。 pic.twitter.com/0elkXwOIbH
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学校の運動場で荼毘に付された方の遺骨。原爆投下から2ヶ月経ってもこのままだったとの説明に、当時の人々は自分が生き延びるだけで精一杯という過酷な状況がうかがえる。 pic.twitter.com/dyhIOawmUq
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被爆後の城山国民学校の模型。風雨で校舎の一部が崩壊した後の姿を再現している。長崎総合科学大学建築学科の学生が製作した。 pic.twitter.com/rfWKHabYuH
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校舎下の斜面にあった防空壕まで作り込んでいる。この防空壕は出入り口を塞いだ形で現存する。 pic.twitter.com/H23ocP8drN
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戦後、日本の調査団が行った学校にいた人々の被害状況の調査結果を元に、新たに描き起こした図。 pic.twitter.com/rdLIVMPene
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戦時中の城山国民学校には三菱兵器製作所の給与課が疎開していた。原爆投下時に同校内にいた教職員や給与課の動員学徒など合わせて152人のうち132人が死亡。そして在籍児童1400人あまりが自宅などで亡くなった。
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参考記事 https://t.co/wrIqD4K6Qi
また、1984・S59までに解体された被爆校舎からブロック状に切り取ったものが、平和祈念館の出入り口付近に置かれている。城山小学校は1923・T12に城山尋常小学校として開校。このブロックは後に南校舎と呼ばれた開校当時の校舎の一部だ。 pic.twitter.com/8d5321HcMP
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被爆後に風雨で部分的に崩壊したのがその南校舎である。 pic.twitter.com/cDCINe2Qzb
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平和祈念館に展示されている年表に、開校当時の校舎の写真が載っている。城山小学校公式サイトの文章によると「大正12年,九州初のコンクリート3階建て校舎を持つ城山尋常小学校としてスタート」とのこと。https://t.co/qRBMGOl9hP pic.twitter.com/3QbIjHtsA5
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「いや、鉄筋が突き出た右下のブロック以外はレンガ造っぽいけど?」と最初は思ったのだが、後で写真を拡大するとブロックの切断面に鉄筋の断面が見て取れる。ということは、レンガは非耐力壁に使われたのだろう。 pic.twitter.com/oxAts1vXsp
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被爆校舎を修復して使い続けた戦後復興期の写真などの展示は無かった。平和祈念館は被爆の実相を伝えるのが役割だと承知しているが、将来もし展示を更新することがあれば、戦後の校舎の使われ方についてもご検討いただきたい。
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