「古往今来~触れて感じる八幡の歴史」02
#旧百三十銀行ギャラリー (福岡県北九州市八幡東区)の企画展「古往今来~触れて感じる八幡の歴史」(2023/2/10~19)に展示された国際通り一帯の建築模型の話を続ける。2回目の最初は平和ビルについて。 pic.twitter.com/OVp2UkW4Rb
— タケ (@take_all_a) February 23, 2023
平和ビルは、1954・S29年頃に八幡市住宅協会(現 北九州市住宅供給公社)が建設した集合住宅で、八幡駅前の交差点を取り囲むように4棟があった。2000年代前半に全て解体されて高層マンションに建て替わっている。 pic.twitter.com/yTkwQ2M94E
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高層マンションから平和ビルに置き換えて、過去の街並みを再現した状態。平和ビルの道路に沿った細長い形状は、防火建築帯のフォーマットに従った結果と思われる。 pic.twitter.com/trOCWcFxk0
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4棟の平和ビルのうち第1棟(手前)は村野藤吾、第2〜4棟は松田軍平と平田重雄(松田平田設計の創設者)の設計といわれているが、実際の設計は八幡市建築部であり村野の関与は助言にとどまる。松田と平田がどこまで関わったかはよく分からない。 pic.twitter.com/ndvnbXNnLU
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詳しくは『北九州地域における戦前の建築と戦後復興の建築活動に関する研究』(尾道健二・内田千影・開田一博、北九州産業技術保存継承センター・九州共立大学、2010)を参照のこと。
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手前から平和ビル、福岡ひびき信用金庫本店 / 旧北九州八幡信用金庫本店(村野藤吾)、八幡市公民館(未確認)、八幡市民会館(村野藤吾)。八幡に村野建築が多いのは、彼が青少年時代を過ごした街という地縁による(出身地は佐賀県唐津市)。 pic.twitter.com/plDxcf9W6l
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私が2002・H14に撮影した平和ビル第1棟の写真。うかつなことに第2〜4棟は撮っていない。1階は店舗、2階は店主の住戸、3〜4階は一般向けの住戸という構成だった。いわゆるゲタバキアパート。 pic.twitter.com/8hKkzJHWKr
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建て替え後の高層マンション。撮影は2012・H24(現状と大きな違いは無い)。テナントが入る低層部の立面は、平和ビルに似せたデザインとなっている。 pic.twitter.com/E0h5npqLXV
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次は八幡駅。今の駅舎は2008・H20に竣工した3代目だ。 pic.twitter.com/W143pRFZd5
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3代目八幡駅は1階が駅やテナントで、2〜5階は駐車場。実質はほぼ立体駐車場であるものの、ルーバーやガラスを上手く使ってシャープな立面を見せている。設計は黒田克樹氏 / ブラックステューディオ。 pic.twitter.com/gZdNaxAYXW
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一方、1955・S30に竣工した2代目八幡駅は、これぞ国鉄モダニズム建築というべき端正なデザインだった。国鉄のインハウスアーキテクトの仕事だと思うが、具体的な部署名は分からない。 pic.twitter.com/3EspMbljGL
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会場のパネルによると、2代目八幡駅の竣工時は2階に八幡市の産業館、3階に児童館が、1981・S56以降は北九州市の自然史博物館が入っていたとのこと。博物館は知っていたが、その前の用途は初めて知った。 pic.twitter.com/jVkyW8Zaj6
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戦後、国鉄は駅舎と商業施設を組み合わせた民衆駅(今でいう駅ビル)を積極的に建設したが、公共施設の併設は当時としては珍しいのではないか。 pic.twitter.com/sfjKFwfXZp
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2代目八幡駅が開業して30周年の記念入場券(私の所有物)に初代と2代目駅舎の写真が載っている。竣工当時は白い外壁だった2代目は、後年は茶色に塗装された。この茶色の姿は私も覚えている。 pic.twitter.com/LswHv4CALR
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次は八幡製鉄労働会館(新日本建築家集団 NAU、1952・S27、現存せず)。細部を省略したボリューム模型とはいえ、不鮮明なモノクロ写真しか知らないこの個性的な建築が立体で見られたのには感激した。 pic.twitter.com/AMMnjLuVyR
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NAUが八幡製鉄労働会館の設計を受けた経緯は「八幡製鉄労働会館建設とNAU設計委員会―新日本建築家集団(NAU)の設計活動について」(船曵悦子、岐阜市立女子短期大学研究紀要)が詳しい。ネットにPDFが出ている。 pic.twitter.com/XiVH7jHKxi
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同論文によると、NAUで八幡製鉄労働会館を担当したチームのうち設計監理は池辺陽・今泉善一・海老原一郎の3名で、中心は池辺陽(いけべ きよし)とのこと。なるほど、彼ならこういう一見異形なデザインもうなずける。 pic.twitter.com/w5CzfdxR1X
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1980年代まで村野藤吾と池辺陽という作風が全く異なる二人の建築が並んでいたとは、すごい組み合わせだよね。この光景をリアルに見たかったなあ。 pic.twitter.com/KJEyGuAT8Y
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最後に紹介するのは福岡県婦人の家(設計者未確認、1955・S30、現存せず)。八幡市民会館の隣にこんなコンクリートシェル(シャーレン)構造の建築があったなんて全然把握しておらず、個人的にはこの企画展で一番驚いた。 pic.twitter.com/jmx1qYsdH2
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パネル掲載写真の背後に写っているのは施工中の八幡市民会館。躯体ができていることから撮影時期は1957・S32〜1958・S33頃だろうか。右が見切れており、エントランスのキャノピー部分の支持方法は分からない。 pic.twitter.com/zxBYsdem5y
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昭和30~40年代の建築で、最上階に配置した大会議室などにシェル構造の屋根を架けた事例はたまに見かけるものの、シェル単独で成立する建築の現存例は少ない。 pic.twitter.com/JwD2d2asBl
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現存するシェル構造の建築で最も有名なのは東京カテドラル(丹下健三)だろう。北九州市では、レーモンドが設計した安川電機歴史館 / 旧安川電機本社屋講堂(1954・S29)が残っている(シェル単独とは言い難いが)。 pic.twitter.com/CfdHv2SgCZ
— タケ (@take_all_a) February 23, 2023
2014年に八幡駅で行われた写真展「懐かしの八幡写真紹介」から、国際通りの写真。八幡市民会館が竣工する1958・S33以前の撮影。大元の出典は八幡市が刊行した『八幡の建設』という冊子。 pic.twitter.com/nXH5PYuhn4
— タケ (@take_all_a) February 23, 2023
「八幡の歴史」展のツイート、興味深く拝見しています。
— クータロ (@fukupedia18) February 23, 2023
先代の駅舎を設計したのは国鉄下関工事事務所の建築課ですね。 https://t.co/z6Lcn3JOAA
出典は『建築界』1956年1月号の「最近の新しい駅」という記事。著者は国鉄本社の建築課に勤めていた菊池重郎氏です。https://t.co/lkH50Jt8Gy
— クータロ (@fukupedia18) February 23, 2023
ちなみに『建築界』は割とレアな雑誌で、デジコレにもあるけど館内限定公開なのが残念…(私はたまたまコロナ前に九大の芸工図書館で読んだのでした)