福岡県桂川町、飯塚市の炭鉱巡り
今日は福岡県飯塚市と桂川(けいせん)町の炭鉱遺構を数カ所ほど巡ってきた。写真は桂川町に残る日鉄鉱業 嘉穂鉱業所 上嘉穂坑の巻上機台座(1969・S44閉山)。団地と炭鉱という自分の趣味にど真ん中な光景。もっと早く見に来るべきだった。 pic.twitter.com/bfBu4Rfqmq
— タケ (@take_all_a) February 5, 2023
せっかく保存したのに説明板が無いのが惜しい。場所はココ→ https://t.co/JJzEqn2QSf pic.twitter.com/RLB57QsJBc
— タケ (@take_all_a) February 5, 2023
このように住宅地の中に炭鉱遺構がポツンと残るのが筑豊地方の面白さである。 pic.twitter.com/vDtOzmneJo
— タケ (@take_all_a) February 5, 2023
昨夜ツイートした炭鉱巡りの続き。これは平山炭鉱の巻上機台座(福岡県桂川町)。現在は民家の倉庫に使われている。地図 https://t.co/DTTCssIkqd pic.twitter.com/Ownu1gmLcA
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
鶴嘴さん(山尾さん)のブログによると、明治鉱業が平山炭鉱を買収したのは1930・S5のこと。この遺構はレンガ造なので、買収前の建設と考えていいだろう。
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
鶴嘴さんのブログ > 明治 鉱業(株)平山 炭鉱 (詳細) https://t.co/IXaHBNDyd2 pic.twitter.com/qZTGfVCfDo
明治鉱業時代の平山炭鉱は、前述の遺構から少し離れた場所に坑口や選炭場、積込場を設けていた。その遺構は残っていないが、付近の公園に記念碑がある。地図 https://t.co/d5gC2Cf448 pic.twitter.com/KMbY2rUDgS
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
麻生鉱業 吉隈炭鉱の慰霊碑(福岡県桂川町)。吉隈炭鉱は麻生グループにとって最後のヤマだったが、炭鉱合理化の波に抗えず1969・S44に閉山。跡地には住宅地が造成されて、その中の公園に慰霊碑がある。※ 誤記を修正して再ツイート pic.twitter.com/LU6kilCovP
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
当初、この「徳香追慕碑」は吉隈炭鉱で1936・S11に発生した坑内火災の犠牲者を悼むために建立された。後年の経緯については碑文や説明文の通り。※ 誤記を修正して再ツイート
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
地図 https://t.co/KrOFrWk89o pic.twitter.com/nRsUJrpfpv
付け加えると、閉山後、地区内にあった無縁墓地に集会所を建設した際、多数の遺骨が出てきて別の場所に納骨堂を設けたという出来事もあった。この納骨堂の場所がなかなか特定できずにいたが、今日やっと突き止めた。こちらもいずれ訪れたい。 pic.twitter.com/FR0IRL5m6d
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
「徳香追慕碑」が吉隈炭鉱で1936年の坑内火災事故の慰霊の為に建てられた碑である証拠はありません。この碑は元々1942年3月10日(陸軍記念日)に建てられました。太平洋戦争開戦の3ヶ月後です。地元の人たちはこれを「忠魂碑」あるいは「忠霊塔」と呼んでいました。
— 新羅江水《신라강수》 しーらかんす (@sillakangsoo) February 6, 2023
坑内火災犠牲者の慰霊碑が最初に建立された時点では「徳香追慕碑」という名称ではなかった、という理解でよろしいでしょうか。
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
名称は最初から変わっていません。「徳香追慕碑」は1936年の坑内火災事故の慰霊の為に建てられたものではないと言うことです。
— 新羅江水《신라강수》 しーらかんす (@sillakangsoo) February 6, 2023
この碑文は間違っているのです。随分前に間違いを指摘されても、訂正されないままになっているのです。
確認しますが、坑内火災の慰霊碑が建てられたという事実はあるのでしょうか。その慰霊碑の意味が後ですり替わったのか、それとも事故の慰霊碑など最初から存在しなかったのか、どちらでしょうか。
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
1936年の吉隈炭鉱における坑内火災事故の慰霊碑は、私が今までに確認したところではありません。麻生のそれ以外の炭鉱においても、当時の炭鉱事故の慰霊碑など見たことがありません。最初から無かったと見るのが妥当です。
— 新羅江水《신라강수》 しーらかんす (@sillakangsoo) February 6, 2023
三菱鉱業 飯塚炭鉱の巻上機台座(福岡県飯塚市)。筑豊炭田を代表する炭鉱遺構のひとつで、2基の巻上機台座が並んでいる。また、手前の道路は石炭輸送路線だった上山田線の廃線跡である。 pic.twitter.com/6YuTu2wjL4
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
2基の台座のうち、整備された北側に対して、南側の方(写真は2009年)は私有地のため私物などが散乱し、最近まで雑然としていた。 pic.twitter.com/G37lLU7IrV
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
それが、おそらく市が土地を取得したのか(詳細未確認)、南側の台座周辺も2022年末頃に整備された上、石碑が建立された。今回の炭鉱巡りの一番の目的はこの石碑を見ることだった。 pic.twitter.com/G2Vd1mxVQz
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
三菱の炭鉱や鉱山でかつて働いていた中国人労働者が、後継の三菱マテリアルに賠償と謝罪を求める裁判を中国で起こし、2016年に和解が成立。合意事項のひとつが日本の現地に碑を建てることで、「日本中国平和友好・慰霊の碑」として実現した次第である。 pic.twitter.com/o3cCkjSlcr
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023
石碑の裏側には、飯塚炭鉱で働いた中国人労働者の名前が、死亡・消息不明・中国帰還の別に記されている。 pic.twitter.com/XKNru3Age5
— タケ (@take_all_a) February 6, 2023