北九州平和資料館
福岡県北九州市若松区にあった私設の「北九州平和資料館」が2022/8/25をもって閉館した。閉館直前に見てきた展示内容を少し紹介したい。 pic.twitter.com/kNanVlz2Sh
— タケ (@take_all_a) August 27, 2022
館内の様子。閉館のニュースが報じられたからか、この種の施設としては来館者が比較的多かった(写真は人が途切れたタイミングで撮影した)。中には小学生だけのグループも。夏休みの自由研究かな。 pic.twitter.com/wmNT5sjlrL
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最初に経緯を述べると、北九州平和資料館は市民団体「北九州平和資料館をつくる会」が2013・H25年に開設。若松区内の事務所ビル3階の会議室を間借りする形で運営されていた。同会は民間で資料館を運営する一方で北九州市に対して公立の平和資料館設置を要望していた。 pic.twitter.com/AJmCkXQ51Y
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そして今年(2022年)、小倉北区の勝山公園に市が「北九州市平和のまちミュージアム」を開館。これを受け、一定の目標を達成したとして北九州平和資料館は閉館を決めた。運営者の高齢化も理由のようだ。 pic.twitter.com/FttVITNqxL
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なお、報道によると、北九州平和資料館の運営スタッフの一人である元小学校教諭の女性が、資料を引き継ぎ別の場所で再開を計画中とのこと。
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では、北九州平和資料館の展示物を見ていこう。同館は、貴重な史料をガラスケース越しに見るのではなく、直接手に取って実物の感触や重さを体感できた。こういう方法は公立の施設ではなかなか真似できない。これは日本陸軍将兵の鉄かぶと(鉄帽)。 pic.twitter.com/YRjE94QY8d
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軍への入営や退営のときに授けられた記念の杯。 pic.twitter.com/L4OP5JN4PJ
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若松区の深町小学校にあった奉安殿の鬼瓦。 pic.twitter.com/GAfznzyfBD
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木銃と歩兵銃。 pic.twitter.com/w0qCVWW81Z
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木銃。 pic.twitter.com/4mT75LxptV
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井澤式歩兵銃。 pic.twitter.com/wyv2npT3T6
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防毒マスク。
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「隔離式防毒面用吸収罐 効用 各種毒瓦斯ヲ完全ニ吸収ス 日本化工株式會社」 pic.twitter.com/gRkCC94P4f
陶器製地雷と陶器製手榴弾。陶器製地雷はかなり重かった。 pic.twitter.com/QcBhPnxcvw
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テルミット焼夷弾。 pic.twitter.com/swcOFWFmcW
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ちなみに、北九州市平和のまちミュージアムでは、焼夷弾の実物大模型を盗難防止のためのガードした上で手に取れるようになっている(1枚目)。これは北九州平和資料館側が何かアドバイスをしたのだろうか。 pic.twitter.com/7UInptxZ2q
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「生きて虜囚の辱を受けず」の文言で有名な戦陣訓。 pic.twitter.com/zPfZbQXAF0
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戦時下のポスター。
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「一億の「もう一口」で一萬機!」
「銃後の護りを固めませう」
「ラヂオきくには先づ許可がいる」
「命惜む氣で時を惜め 安全を母も家にて神だのみ」 pic.twitter.com/RKr5n00T4T
戦時下のポスター。
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「貴重な資源をお役に立てませう」
「翼賛議會を確立せよ!!!」 pic.twitter.com/qGo9Qix0CW
『大東亜戦争海軍美術』(大日本海洋美術協会)
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戦時中、絵画・彫刻・文学など各芸術分野の作家達が軍や体制側に協力したことは有名だが、本書は海軍省後援の美術団体が1943・S18年に編纂・刊行した戦争画の画集である。表紙の題字は海軍大将で総理大臣も務めた米内光政による。 pic.twitter.com/aH3BNOSNyX
『大東亜戦争海軍美術』から連合艦隊司令長官 山本五十六書「常在戦場」。この言葉は彼の座右の銘で故郷 長岡藩(今の新潟県)の藩是とのこと。 pic.twitter.com/8CmNdod3Qr
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収録絵画のトップを飾るのは藤田嗣治《十二月八日の真珠湾》。戦争画を論じる際に必ず名前が挙がるのが藤田嗣治だ。本物は東京国立近代美術館蔵(正確には戦争画の多くは戦後アメリカが持ち去っていて、同国からの無期限貸与という形をとる)。 pic.twitter.com/MBBdtFZnCm
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さすがに従軍画家といえども真珠湾攻撃に同行できたはずはなく、この絵は軍が撮影した写真を基に描いたのだと思う。それは他の画家の作品も概ね同様だろうが、本作はスペクタクル性に乏しく戦意高揚の目的に適っているのかどうか。
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御厨純一《ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲》。こちらはいかにも戦争画という作品だ。御厨純一は佐賀市出身の画家。代表作は《髪を梳く》(下記リンク先参照)。https://t.co/Qiq4eUrlnV pic.twitter.com/dLt6D1EACZ
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松添健《レンネル島沖海戦》。松添健は海軍関係の戦争画を数多く描いた「海軍画家」的な人物だったらしい。 pic.twitter.com/FczHpSMqZz
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画家が戦場に立ち会っていなくて想像による部分が多いとしても、基本的に戦争画は実際に行われた戦闘行為を記録するものだが、完全に創作である古城江観《紐育制圧の図》は『大東亜戦争海軍美術』の中でも異彩を放っている。まるで仮想戦記の挿絵だ。紐育=ニューヨーク(念のため)。 pic.twitter.com/HKeDMwZWmR
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古城江観(こじょうこうかん)は鹿児島県出水市出身の日本画家。
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出水市歴史民俗資料館 > 古城江観オンライン展覧会 https://t.co/l685Pz23PX
キャプションの文面から察せられるとおり、北九州平和資料館は左翼色が濃く、反戦平和の訴えは当然として、日本の戦争責任・加害責任を糾弾する展示内容になっている。というか、民間の平和資料館は概ねそういうものだよね。
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私は戦争責任の否定論者ではないし、左翼視点の資料館も必要だと思う。北九州平和資料館側は北九州市平和のまちミュージアムを被害者の側面に偏っていると批判するが、公立にはどうしても限界があるし、その辺は私設資料館で補完して見る者が両者の違いを認識すればいいのではないか。
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活動に敬意を表した上で厳しいことを言わせてもらうと、過去の戦争に目を向ける一方でいま進行中の戦争、つまりロシアのウクライナ侵攻に関する言及が館内にまったく無かった点には少なからず驚いた。
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手弁当の運営で新たな展示物を制作する余裕がないのだとしても、ロシアを非難する紙1枚くらいは貼れそうなものだけど。9条堅持や米軍基地の辺野古移設反対に関するチラシは掲示されていただけに、ウクライナ侵攻に触れない不自然さが気になった。 pic.twitter.com/zEzRcEgTJk
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