水巻町図書館の周辺に点在する日本炭礦の遺構
先日、水巻町図書館(福岡県水巻町)の町民ギャラリーで開催された「うえだひろし作品展」について述べた。うえだひろし氏は同町の日本炭礦(日炭)高松炭鉱で働きながら、炭鉱をテーマにした版画などを制作した。https://t.co/jvQpzwnQeH
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
また、同図書館に常設展示されている、うえだひろし氏以外の炭鉱関連アート2点にも触れた。これらに関連して、今回は水巻町図書館の周辺に点在する日炭 高松炭鉱の遺構を紹介したい。といっても基本的にどれも炭鉱クラスタには既知のものである。https://t.co/j0ZimNceOs
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
水巻町図書館(写真右)が立地するのは多賀山という小高い山の傾斜地で、かつて山の中腹(階段の上)に高松炭鉱の守り神である大山祇神社が祀られていた。閉山とともに神社は廃止。以下、写真は特記無き限り2022・R4年2月の撮影である。 pic.twitter.com/VoGLDDULPx
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
神社の跡地は自然公園に整備された。ここを訪れたのはおよそ12年ぶりかな。以前に撮った写真と比べると、草が生い茂っていて公園としてはあまり使われていないように見える。 pic.twitter.com/kTBx1Sq5Xw
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
解体された鳥居の柱と扁額が公園の片隅に置いてある。再訪して気が付いたが、鳥居は石造ではなくコンクリート造だ。12年前にこれを見落としたのは観察力が足りなかった。鉄骨の代わりに炭鉱のトロッコ用レール(たぶん)が使われていて、鉄筋は確認できない。 pic.twitter.com/W10IMKcRVK
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
柱の文字(撮影 2010・H22)。
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
「日本化學工業株式會社」「遠賀礦業所」「昭和十二年五月吉辰」
日本炭礦、日本化学工業とも戦前の日産コンツェルンの一企業だが、組織の変遷が複雑で高松炭鉱は複数の表記が見られる。 pic.twitter.com/BTSMei0GTi
扁額(撮影 2010・H22)。「大山祇神社」 pic.twitter.com/gr1H6BRc0u
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
境内に残る「鑛業報國」の碑。石炭は金属ではないので、昔は炭鉱の「鉱」に石偏の「礦」をあてたものだが、この碑の場合は金偏の「鑛」を使っている。 pic.twitter.com/umPPe9DXme
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
碑の裏側。「昭和十三年十一月十日 第二高松炭坑共安隊」 pic.twitter.com/JiwwrRZbnA
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
同じく境内に残る「殉職者招魂碑」。これもコンクリート造で、劣化のため文字の入り組んだ部分が欠けている。鳥居やモニュメントを石ではなくコンクリートとした理由が意図的なのか単純なコストダウンなのかは分からない。 pic.twitter.com/lzF4dOyDD7
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
招魂碑の裏側。「昭和十二年六月建之 日本化學工業株式會社遠賀礦業所」 pic.twitter.com/AsFqqVMD6R
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
次は水巻町図書館の裏にある「十字架の塔」。戦時中、高松炭鉱ではオランダ兵捕虜らが強制労働をさせられた。その期間中に亡くなった方々の慰霊碑である。 pic.twitter.com/9Ziguy4gIN
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
「十字架の塔」の説明文。戦犯追及を恐れた会社側が連合軍の到着前に慌てて建立したというのが実情で、戦後は永らく忘れられていたが、当時のオランダ兵捕虜の来訪をきっかけに水巻町が整備した。 pic.twitter.com/ZOWUhDJY8t
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
慰霊碑中央のプレートが水巻町の収容所で亡くなったオランダ兵53名のリスト。左右のプレートは日本各地で亡くなったオランダ兵818名が銘記されている。 pic.twitter.com/Y4u4DXVtdn
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
これは草木に覆われて自然の山のように見えるが実は炭鉱のボタ山。上部は平坦に均してある。前述した神社の跡地からの景観。右下は水巻町図書館。
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
Googleマップ https://t.co/KZFy0G8v8t pic.twitter.com/bczG72nA2A
市原さん @sangyokouko が作成された「近代化産業遺産総合リスト」の水巻町のページ、「旧日本炭礦浅川ボタ山」に次の記述あり。そういうことか。
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
“ 自衛隊芦屋基地(米軍基地時代との説もあり)の空域に支障をきたすおそれがあるため、山頂部を切り取られてしまいました。”https://t.co/wSwzNd7j6i
Googleマップのキャプチャで浅川ボタ山と航空自衛隊芦屋基地の位置関係を示す。 pic.twitter.com/y8fI4KAIwp
— タケ (@take_all_a) February 28, 2022
昨夜述べた水巻町図書館周辺に点在する炭鉱遺構の続き。図書館に併設の歴史資料館に炭鉱住宅の模型が展示されている(実物は現存せず)。町内の梅ノ木地区の炭住(梅ノ木区社宅)で、木造2階建て長屋、1棟の戸数は8戸。 pic.twitter.com/sg5YH4pnCB
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
1枚目:写真左の小屋は共同便所。
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
2枚目:模型のキャプション。 pic.twitter.com/1e58Omva8r
梅ノ木区社宅の写真と地図(水巻町歴史資料館)。 pic.twitter.com/pefSYjjwtk
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
梅ノ木区社宅とその南にあった古賀区社宅の跡地には、日本住宅公団(現UR)が梅ノ木団地を建設した。撮影 2013・H25。他の炭住街もおおむね公営住宅や戸建て住宅地になっている。 pic.twitter.com/iD7IREeWAK
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
今回の件で久しぶりに高松炭鉱について検索したところ、炭鉱住宅街から公団住宅に建て替わる時期の様子を撮影された写真家のウェブサイトを見つけた。公開は2019年。この方のお父上が高松炭鉱の坑内大工だったとのこと。
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
写真の記録帖 > 日炭高松炭鉱の炭住街 1984 https://t.co/SHJk95yUEl
無人化した炭鉱住宅街とその背後に真新しい公団団地が建ち並ぶ構図という、個人的にどストライクな写真だ。前述の模型とウェブサイトの写真を見比べる限り、梅ノ木区と古賀区は同じデザインの炭住だったと思われる。
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
最後は日本炭礦専用鉄道の橋台。マックスバリュ水巻店と水路の境界に片方だけ現存する。
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
Googleマップ https://t.co/yZSkRoQXZ6 pic.twitter.com/TtUnqoK83b
この橋台については、以前にどなたかがツイッターで報告されたのをマッピングしていたのだが、検索しても元ツイートは見つけられなかった。 pic.twitter.com/tl1lOq6Pud
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
紹介した各遺構の位置を今昔マップのキャプチャに記入。橋台は左図丸印内の本線か引き込み線の構造物と思われる。
— タケ (@take_all_a) March 1, 2022
左:1950・S25修正、1952・S27発行の地形図、右:最新版。
この画面のURL https://t.co/0BpqchL2F8 pic.twitter.com/KzeZZ4IRwQ