岩原川の橋上建築
長崎市内を岩原川(矢印)という短い河川が流れている。立山地区を源流として長崎駅の南側で長崎港に注いでいる。画像は地理院地図のキャプチャ。URL https://t.co/7mBlR7RhSF pic.twitter.com/lt3xjHB6nL
— タケ (@take_all_a) February 17, 2022
この岩原川の河口付近に建築物が載った橋が架かっている。平地が少ない長崎市では、建物が河川(水路)に張り出したり暗渠の上にあるというケースはよく目にするが、橋の上の建物は全国的にも極めて珍しい。 pic.twitter.com/n1PNcUxQm2
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この橋上建築の隣に、岩原川を暗渠化して設置された大黒市場と恵美須市場という木造市場があったが、老朽化のため2012・H24年度に解体された。写真は2009年と2011年に撮影した市場が健在だった頃の様子。 pic.twitter.com/xnAkCl3hnk
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大黒・恵美須市場の跡地の現況(2022年)。市場と暗渠は撤去されて開渠になった。 pic.twitter.com/5KWNPgyt6F
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下の記事によると、大黒・恵美須市場は、戦後の長崎駅付近に生じた闇市や違法建築物の代替地として1954・S29年頃に設けられたそうだ。
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長崎経済新聞 > 消えゆく戦後の市場を高校生が撮影-大黒市場でシャッター写真展 https://t.co/EGwenuPe0p
よって、今回取り上げた橋上建築も同時期かと推測するが、大黒・恵美須市場に比べるとネットに情報がほとんど上がっていない。本来は道路の用途であるはずの橋が民間建築の敷地に転用されるとは、実に興味深い事例なのだが。 pic.twitter.com/HvikBdb5G9
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長崎市のサイトに、大黒・恵美須市場撤去後の河川を整備した「岩原川プロジェクト」のページがある。ここの図版によると橋上建築は「大和商工」という名称で、解体対象との旨が記載されている。https://t.co/STrS5XJlrP
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そもそも2012・H24年度に大黒・恵美須市場が解体された際、隣の橋上建築も近いうちに解体だろうと私は思っていたので、2022年に付近を通りかかったとき「えー、まだあったの!」と驚いた。
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それで通りすがりに数枚ほど撮影した次第である。現地で気が付かなかったが親柱に銘板が付いていて、拡大すると「昭和十一年(以下判読不能)」と書いてあるように見える(西暦1936年)。が、しかし… pic.twitter.com/mXjwHZvfcw
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米軍の1948・S23撮影の航空写真に橋は写っていない(国土地理院 空中写真閲覧サービス USA-R216-76 をトリミングして加筆)。では、あの文字は「昭和十一年」ではないのか。現地で銘板を見落としたのはうかつだったなあ。 pic.twitter.com/kNAKGFbYdK
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今昔マップで戦後初期と現在の地形図を比較。矢印は件の橋の位置を示す。左:1954・S29修正、1956・S31発行、右:最新版。
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このキャプチャのURL https://t.co/6UjiP0IT9R pic.twitter.com/qExVKjnEYk
1954・S29当時、橋は架かっているものの幅員は道路と同じで、橋上建築は描かれていない。したがって、米軍撮影(S23)から地形図作製(S29)の期間にまず橋を架け、S29以降に橋を拡幅して古い部分に店舗を建てたと思われるが、情報不足で推測の域を出ない。
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拡幅された道路から橋上建築の表を見る。飲食店などのお店が並ぶ。 pic.twitter.com/nDRn8uFwD9
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橋上建築の裏側の通路を道路から撮影。部外者は立入禁止。鉄筋コンクリート造だろうけど、橋の上に建てて基礎はどうなっているんだろう。まあ、橋の床版をベタ基礎(のようなもの)と考えれば2階建てくらいは大丈夫かな。 pic.twitter.com/wP14ii2SZi
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なお、橋の名称については「ミズベリング岩原川会議(長崎)」の facebook に「岩原新橋」だと銘板の写真と共に載っている。また、地元ケーブルテレビでこの橋の歴史に触れたとも。その概要をネットに上げてくれたらなあ。https://t.co/dI1HBMu1O9
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大黒・恵美須市場の成立過程から分かる通り、こういう河川上の建築は、平地が少ない長崎市ならではの戦後復興期を物語る存在だ。しかし、暗渠上にあった銅座市場で床版の崩落事故が起きるなど、もう耐用年数を過ぎており、解体は仕方あるまい。
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