TOTO小倉第一工場の隣地で見つけた詳細不明の境界石
先日、ある建築展を見るためTOTO小倉第一工場(福岡県北九州市小倉北区)の敷地内にあるTOTOミュージアムに向かっていたときのこと。工場に隣接する民間マンションの敷地の角に境界杭を見つけた(写真左下)。 pic.twitter.com/OopMCZFQtZ
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
よく見たところコンクリートではなく石の杭だ。ということはかなり昔のものである可能性が高い。後年の舗装工事で地盤面が上がったからか、杭の大部分は埋まっている。 pic.twitter.com/GApUMPM7Ff
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
まず境界石の上面を見る。この字は「界」だろうか。 pic.twitter.com/IOtTVxegZB
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
次に側面。「日」は分かるが二文字目が分からない。うかつにも草を除けて撮らなかったのだ。 pic.twitter.com/Apdq0PktlW
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
TOTO小倉第一工場とその隣地を表示したGoogleマップ3Dモードのキャプチャ。右下の矢印が境界石の位置を示す。周知の通りTOTOの旧社名は東洋陶器である。この境界石の土地はかつて東洋陶器の敷地だったのではと考えたが、「日~」は名称が一致しない。 pic.twitter.com/l4NN2yRmI6
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
では東洋陶器の前の社名は? TOTOミュージアムで確認すると、最初の社名は日本陶器とのこと。 pic.twitter.com/Sf1XZSXLwS
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
1917・T6年、日本陶器は当時の企救郡板櫃村大字篠崎に工場を建設し、東洋陶器として分離独立させる。これが現在のTOTO小倉第一工場である。ではあれは日本陶器時代の杭かとも考えたが、境界石の二文字目は「本」や「陶」とは違うっぽいんだよね。 pic.twitter.com/KBlfpfvZkk
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
そもそも隣地は工場敷地だったのか。今昔マップで昔の地形図を見たところ、昔から別の土地だったように思える。図書館で大正時代の地図を調べれば分かるだろうが未調査のまま。
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022
左:1922・T11測量、1925・T14発行、右:現在。このキャプチャのURL https://t.co/kPSKWKHjZd pic.twitter.com/V0qx1J6UW8
というわけで、今のところ詳細不明の古い境界石がありましたという報告にとどまる。
— タケ (@take_all_a) February 11, 2022