須崎公園04
文化拠点施設の建設に伴う再整備で閉鎖された #須崎公園 (福岡市中央区)の話、4回目。園内には先日取り上げた噴水モニュメントの他にも、彫刻やオブジェなど数点のモニュメントがあった。公園再整備における既存モニュメントの取り扱いは確認できていない。
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再整備後の公園に移設するか撤去か、市は個別に判断するのではないか。そこで、閉鎖前のモニュメントの姿を記録に残しておく。まずは福岡県立美術館の近くに設置されていた胸像。 pic.twitter.com/PEhUxQESei
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胸像と台座。台座は石材のシンプルなデザインだ。 pic.twitter.com/Z1TV4Ejye6
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深いしわが刻まれた老人が前方をしっかりと見据えている。キレイに分けた髪型、縁が太い眼鏡、仕立ての良さそうなダブルのスーツからは、気品の高い人物だと感じられる。 pic.twitter.com/mTxIfMtY56
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で、これは誰の胸像かというと、
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「第十五代福岡市長 奥村茂敏氏像」 pic.twitter.com/FsP5qcVs6t
碑文
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「奥村茂敏先生は、昭和三十一年第十五代福岡市長に就任、昭和三十五年九月辞任されるまで四カ年間、新しい都市づくりのため文化施設の拡充や市民生活の基盤の整備向上に努力され、特に国鉄博多駅の新設及び博多港の整備並びに緑の都市づくりに尽力され、市民はひとしく親しみ尊敬した。(続く) pic.twitter.com/CM94YSyICl
本年市制施行八十周年を迎えるにあたり、親しくこの地に記念像を建て先生の大きな功績を永くたたえる。
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昭和四十四年四月二十六日
福岡市長 阿部源蔵」
細かいツッコミを入れると、胸像の銘板は第15代だが、福岡市公式サイトの歴代市長のページだと阿部源蔵氏は第21代と載っている。この食い違いは「代」の数え方による。https://t.co/eTHfrXW7OW
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通常、首長が複数の任期を務めた場合は任期ごとに代をカウントする。例えば現職の高島市長は2010・H22に第35代で就任して現在3期目なので35~37代市長にあたる。しかし、銘板の数字は同じ人が2期以上を務めた場合も〈一人一期〉で数えている。
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つまり、この “15代” は1889・M22の福岡市発足時の初代から数えて15人目の福岡市長という意味になる。銘板の数字が行政上のルールと異なる理由は分からない。ある時期に数え方が変わったのか、それとも単純ミスなのか。 pic.twitter.com/BKMLnSNwXa
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また、背中には「日展審査員 原田新八郎作」と胸像の作者の名前が彫ってある(こういうところに記すものなの?)。 pic.twitter.com/3Am3dpEuRE
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原田新八郎氏は1916・T5年、福岡県の旧 前原町(現 糸島市)生まれの彫刻家。東京美術学校(現 東京藝術大学)を優秀な成績で卒業後、郷里の糸島を拠点に創作活動を行った。
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糸島市 > 【郷土糸島の偉人たち07】原田 新八郎 https://t.co/sCMqKZKPgG
糸島市はもちろん福岡市にも原田新八郎氏の作品が何点か置かれていて、人目に付くところでは大濠公園の「DEMETER」像が挙げられる(私も今回調べて知った。アレか!)。
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三好不動産スマイルプラザ > 大濠公園にあるデーメーテール像からみる福岡の博覧会の歴史 https://t.co/L8ORKNp1Fy
さすがに郷土出身の高名な彫刻家が制作した元市長の銅像を処分するとは考えにくい。整備後の公園のどこかに設置すると思う。
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次はこちらのオブジェ。植え込みに囲まれていて、園内を漠然と歩くだけではなかなか気が付かない。そもそも、見られてナンボの存在であるオブジェをまるで隠すような植え方をした意図が不可解だ。 pic.twitter.com/nmMQybX911
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正方形を3×3列に並べて上面を傾けたデザイン。材質はステンレス。 pic.twitter.com/ugvrW0ecHy
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各々のマスに、福岡・博多に伝わる古文書から引用した文章が記されている。 pic.twitter.com/Gu1EKQn1zt
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オブジェのタイトルは「筑紫の碑」。揮毫は第25~28代福岡市長の進藤一馬氏による。 pic.twitter.com/LTVT7L0zBl
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そして設置者は毎日新聞だ。
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「福岡市の政令都市発足ならびに
毎日新聞創刊百年 西部印刷五十年を記念してこれを建立す
昭和四十八年三月完成 毎日新聞社」 pic.twitter.com/6DN6bKYCY1
ただ、隙間から生えた草のせいで文字が少々読みにくい。草が生えることも計算済みのデザインなのか、あるいは野外作品の制作に不慣れな結果だろうか(オブジェの作者は未確認)。とはいえ、元市長の揮毫が入ったものを粗末には扱えないだろう。たぶん保存するのでは。 pic.twitter.com/UPyoBb82Zh
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3つめは、碑文をそれを掲示するコンクリート構造物だ。かなり無骨で大きなモノにもかかわらず、閉鎖前の散策で注意深く見回るまで存在に気が付かなかった。 pic.twitter.com/LmUFg314gn
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これほど重厚感溢れる掲示板(?)を作ったからには、碑文はさぞ崇高な内容に違いない、未来や希望や平和といった理想・理念を格調高く謳っているのだろうと思いきや… pic.twitter.com/5A5JpsEQOf
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「福岡市民のことば
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一、自然を生かし、あたたかい心にみちたまちをつくりましょう。
一、教育をおもんじ、平和を愛し清新な文化のまちをつくりましょう。
一、生産をたかめ、くらしを豊かにし明るいまちをつくりましょう。
(続く) pic.twitter.com/3tk0czcpl7
一、力をあわせ、清潔で公害のないまちをつくりましょう。
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一、広い視野をもち、若さにあふれる市民のまちをつくりましょう。」
…という全くヒネリの無いお役所的なスローガンだった。五七五の標語でもなければ韻も踏んでいない。うーん、面白くないなあ。ちょっと拍子抜けしたが、これはこれで須崎公園が開園した1968・S43当時の都市整備が行き届いていない状況がうかがえる。「清潔で公害のないまちをつくりましょう」とか。 pic.twitter.com/7LYFl6mhXR
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この「福岡市民のことば」の碑は保存するだろうか。もし保存するなら碑文の石版だけ取り外す方法が考えられる。
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公園によくある記念植樹の石碑。見つけたのは2つだが、見落としがあるかもしれない。市が樹木の可能な限りの保護を約束した経緯から、これらの石碑も保存すると思う。 pic.twitter.com/u9XOiHHKX1
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福岡県立美術館付近の小さなロータリーに設置された円形の記念碑。地元のライオンズクラブが街灯を寄贈したのかな。公園再整備でこの街灯が撤去されれば、記念碑も存在意義を失うことになる。 pic.twitter.com/qf8LSM3z25
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