門司港のまちなみ 2021年5月 01 畑田・東門司・清見
2021・R3年5月末、門司港(福岡県北九州市門司区)の街を久しぶりに散策した。観光地の門司港レトロ地区ではなく、古い家屋が残る傾斜地エリアの方だ。具体的には筆立山の南側から古城山の西側を巡って和布刈神社まで歩いた。 pic.twitter.com/hYbyJpMzIc
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
初回は筆立山の南側、町名でいうと畑田、東門司、清見のまちなみを紹介する。畑田団地の現状確認が第一の目的だったので(前回のモーメント参照 https://t.co/Qz09kOVOJw )、同団地付近がスタート地点となる。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
ツタに覆われた家屋。これは10年以上前に畑田団地を訪れた際に見た状態からさほど変わっていない。 pic.twitter.com/ALylrq344H
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
ツタ屋敷の2階建てと平屋の隙間に、宮島醤油(佐賀県唐津市)の看板が置かれていた。今まで福岡県内で宮島醤油の看板を見かけた記憶は無いなあ。もっとも、この家屋が商店だったかどうかは分からない。 pic.twitter.com/b3xvFxApaN
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
畑田の縁を西に向かって歩く。路地が町の境界で左側が東門司、右側が畑田。この辺は筆立山の山裾にあたる。 pic.twitter.com/koAovtpU9Q
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
前掲写真の位置から後ろを振り返る。左上に畑田団地が見える。 pic.twitter.com/4iaU3h0gyX
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
路地沿いの住宅の壁面に祠が埋め込まれていた。ツイッター上で #ビルトイン地蔵尊 と呼ばれるタイプで、私はこのとき初めて実例を見た(今まで見過ごしていただけかもしれない)。 pic.twitter.com/lDcolsapjK
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
鞄?を下げて鉢を持っているので托鉢僧の像だろう。笠の代わりにニットキャップを被った姿が微笑ましい。 pic.twitter.com/qbcP0VCARR
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
この家の前にある階段からさらに奥の路地に入ってみた。 pic.twitter.com/ZPQKU26u9u
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
おお、現役かどうかは分からんが共同井戸がまだ残っているとは。路地沿いの住宅はほとんど空き家だが、右奥の家は人が住んでいる様子がうかがえたので、これ以上先には進まなかった。 pic.twitter.com/u14E6kFUEW
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
畑田地区の西端で遺構を見つけた。はて、これは何だろう?と少し考えてから門司ロープウェイの遺構だと気付く。存在は知っていたものの実際に見たことはなかったんだよね。門司ロープウェイについては後で別スレッドを立てて述べたい。 pic.twitter.com/7VlWxzOcuT
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
関門国道トンネル門司側坑口の東側から上部にかけて小道が通っている。そこから撮ったトンネル坑口。この道から旧門司方面に抜けられるが、一旦引き返した。 pic.twitter.com/v7hfj6Zd9z
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
トンネル坑口がある畑田の西端で折り返し、東門司から清見に向かって東に進む。写真は東門司で見かけた木造長屋。昔はこのような長屋が道路沿いに連なっていたのだろう。 pic.twitter.com/14KNUkUPjF
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
かつて旅館だったと一目で分かる建築。今は営業していない。門司は港町なのでこの種の旅館が多かった。 pic.twitter.com/vWJPVTSRlC
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
開口部の意匠。 pic.twitter.com/AoCDEvtMo3
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
元旅館に隣接する建築もちょっと面白くて、屋根は瓦葺きの入母屋という和風ながら、1階の水平連続窓(これは竣工当時のままかな)など立面は木造モダニズム風のデザインになっている。 pic.twitter.com/gzRCPLvhdr
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
実は2007・H19に撮影した畑田団地の写真にこの建築が写っていて、当時は「御旅館 嘉庄」という看板が出ていた。おそらく前述の元旅館と一体だろう。 pic.twitter.com/6bgko1aSDX
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
これも元旅館で、一旦廃業した後、現在は「PORTO(ポルト)」というゲストハウス形式で営業している。宿泊客以外も内部を見学できるようだが、私は入ったことがない。 pic.twitter.com/5GJRo3D6rm
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
このゲストハウスはもともと別の名称で2015・H27にオープンしたのだが、当時の経営者が「元遊郭」などと虚偽の宣伝をしたため、郷土史に詳しい地元民や真面目な遊郭クラスタの心証は芳しくなかった。 pic.twitter.com/n2LrgmyV4e
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
確かに門司港には遊郭 / 赤線が存在したが東門司地区の旅館は違う。どうも当時の経営者はそれを認識した上で意図的に誇張した表現をしたらしい。現経営陣に替わった後は遊郭と謳うPRは止めたものの、誤解は根強く残っている。 pic.twitter.com/03GeFehkHR
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
ポルトに関する記事でも前ゲストハウス時代のことは一切触れていない。いわば〈黒歴史〉なのだろう。今の経営者やスタッフは地道に頑張っているので、前身のオープン当時に眉をひそめた人達もどうか暖かい目で見てやってほしいと思う。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
昔の理容室(床屋)は角地に建っているケースが多いような気がする。加えてこれは看板建築だね。 pic.twitter.com/rtUbKpNdTX
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
長屋がほぼ解体されて、美容室の部分だけが残っている。 pic.twitter.com/MO3RUzVRP2
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
サンハイムの #建て書き (←このタグを使うのはずいぶん久しぶりだな) pic.twitter.com/2ucKuXqmLF
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
ブルーハイツの #建て書き 。ひとつの建物にわざわざ2種類の書体を使っている。 pic.twitter.com/aSEMCC7dGL
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
ここからは清見。石積み擁壁と家屋に挟まれた非常に狭い路地。擁壁の上に張り出したコンクリートスラブがさらに圧迫感を増している。 pic.twitter.com/zyGfdhVYoy
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
銭湯「きく湯」。サウナをはじめ超音波や電気など多種多様なお風呂を備えているようだ。「きく」は漢字だと「菊」か「喜久」といったところだろうか。まさか「効く」だったりして。 pic.twitter.com/Lm7xQX9VWt
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021
日本キリスト教団門司教会。設計者や竣工年は未確認。たぶん戦後。デザインはスパニッシュ風かな。 pic.twitter.com/FX8WWV3Zh4
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 3, 2021