UR 竹丘町3丁目市街地住宅02
昨年(2019年)の秋に、福岡市内にある旧公団(現UR)が建設した市街地住宅の状況を一通り確認したが、このとき見落としていた竹丘町3丁目市街地住宅(1972・S47、博多区)を2020年6月に見に行ってきた。地図 https://t.co/nIcKpvA4fm pic.twitter.com/T6hwvf1DUa
— タケ@ALL-A (@take_all_a) August 7, 2020
自ブログの昔の記事。その後も通りすがりにチラ見することはあったものの、きちんと撮るのは10年ぶりだな。
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ALL-A blog > 公団 竹丘町3丁目市街地住宅 https://t.co/19jrVwATaq
建築本体の変化はほとんど認められず。ただし、1階のテナントがダイエーグルメシティからマックスバリュに変わった関係で、グルメシティ時代に存在した塔屋のサインは撤去された。 pic.twitter.com/9ojlljDeWk
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廊下側の外壁にサッシ無しの開口部をドット状に並べるのが、公団九州支社の市街地住宅の特徴だ。 pic.twitter.com/NlIh4hd0xF
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北と東の立面に渡ってこれが連続する竹丘町3丁目市街地住宅は特に見応えがある。だが、西鉄天神大牟田線は雑餉隈~下大利の高架化工事が行われていて、踏切の上に梁が架かると、二面を見渡すことはできなくなる。このアングルは今回で見納めかな。 pic.twitter.com/H62NHlU96v
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竹丘町3丁目市街地住宅と西鉄3000形電車。 pic.twitter.com/OEdPKlxiOX
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竹丘町3丁目市街地住宅と西鉄6000形電車。 pic.twitter.com/vuj2Ye6yxJ
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2010年の写真。 pic.twitter.com/eSj4Palr0r
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西立面(厳密には南西向き)。市街地住宅で外部に面する住戸はサンルーム型にするのが設計の基本方針だったが、大通りに面しない住戸など、普通のベランダの場合もある。 pic.twitter.com/AnkO6HhoOI
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南立面。住戸階はコの字型。 pic.twitter.com/ZIxWun2Op9
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URは竹丘町3丁目市街地住宅について「土地所有者等への譲渡、返還等」の予定としている。つまり近いうちにURの手を離れるのだが、訪問時はまだURの銘板が掲示されていた。なお、入居者の募集は停止。 pic.twitter.com/IBJYqEHghg
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以下は余談。竹丘町3丁目市街地住宅の向かい側にある廃業した個人商店の壁に、珍しいものを見つけた。 pic.twitter.com/qdjbzOYHft
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「信号炎管常備 踏切協力員」の標識だ。踏切で何か支障があれば、信号炎管を焚いて列車に知らせる役割をこの店の人が担っていた。旧国鉄では踏切防護協力員と呼んでいたようだが、西鉄は「防護」を付けない呼称だったのだろうか。 pic.twitter.com/rtV3CndSwS
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もうひとつ余談。近くの銀天町商店街で食べた担々麺。西鉄 雑餉隈駅前は昔ながらの商店街がまだ残っている。 pic.twitter.com/ih6DUUzEGt
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