坂本駅
2019年の熊本旅行から肥薩(ひさつ)線の続き。肥薩線は八代駅(熊本県八代市)から隼人駅(鹿児島県霧島市)に至る路線だ。八代から人吉までは球磨川沿いの渓谷を、人吉から隼人は山間部を通ることから、八代~人吉は川線、人吉~隼人は山線と呼ばれる。画像はJR九州の路線図をトリミングして加筆。 pic.twitter.com/GXLe6rOWI9
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 26, 2020
Google Earth で八代から人吉にかけての球磨川沿いの地形を見る。肥薩線と国道も川沿いの渓谷を通っている。今回の豪雨災害で球磨川が氾濫した結果、肥薩線の特に八代~人吉=川線で橋梁や路盤の流失、土砂の流入などの大きな被害が発生した。 pic.twitter.com/8fZGHAXOBb
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肥薩線は川線も山線も険しい地形で建設工事は困難の連続だった。まず八代~人吉が1908・M41に開業、翌1909・M42に人吉~吉松(鹿児島県湧水町)が開通した。このとき既に鹿児島~吉松は開通しており、人吉~吉松の開通で門司から鹿児島まで九州の南北が遂に1本の鉄路で繋がった。
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このように九州を縦断する鉄道は海沿いより内陸部の方が先に全通したため、現在の肥薩線が開通当初は鹿児島本線という路線名だった。1927・S2に実施された路線の再編成で海岸線が鹿児島本線、内陸線が肥薩線と名称が入れ替わる。
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肥薩線で特筆すべきは、明治時代の鉄道構造物(橋梁、トンネル、駅舎・官舎、機関庫、給水塔、スイッチバック等)が数多く現存することだ。しかも八代~人吉=川線はSL人吉が走行する。肥薩線全体が鉄道遺産といっても過言ではない。写真は坂本駅にて。 pic.twitter.com/Sci9G4JOJ3
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それだけに、この鉄道遺産群の象徴的存在だった球磨川第一橋梁と第2球磨川橋梁の流失は本当に残念だ。今のところ、肥薩線の他の遺構は被災したものの致命的という情報は入っていないが、引き続き情報収集を行っていく。
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さて、肥薩線の鉄道遺産から今回紹介するのは坂本駅(熊本県八代市坂本町)。川線に現存する木造駅舎のひとつで、竣工は八代~人吉の開業年と同じ1908・M41である。木造平屋建て、屋根は切妻、壁は下見板張りと漆喰塗り。 pic.twitter.com/zU4BV1FDYa
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東洋経済オンラインに坂本駅の被災写真が載っている。線路上まで冠水して一部が土砂に埋もれた。駅舎も水に浸かったが大きな損壊はなかった模様。
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濁流が飲み込んだ線路…「九州鉄道被災」の現場 駅や車両も被害、一部区間は全容把握できず https://t.co/QwSXcdVJIB pic.twitter.com/vQM32xnWXb
肥薩線の駅舎は当時の標準設計で建てられたので、現存する木造駅舎は基本的に同じデザインなのだが、この出入り口のポーチは坂本駅にしか付いていない。 pic.twitter.com/UmjX1PM03A
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『肥薩線の近代化遺産』(熊本産業遺産研究会編、弦書房)によると、写真矢印の柱から右側の2間分は後年の増築で、ポーチはこのときに付いたものらしい。 pic.twitter.com/FhQ8GCBfqb
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坂本駅の建物財産標。「坂本 本屋」のみで竣工年の記載は無し。 pic.twitter.com/o6yNgionD1
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内部は人がいたのでこれしか撮っていない。 pic.twitter.com/Hwk5uScyxH
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坂本駅のホームとその上屋(=駅舎の下屋)。 pic.twitter.com/sPXTkfKP30
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ホーム側の立面。現在は無人駅だ。 pic.twitter.com/xVcKtIChKt
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坂本駅の駅名標。これは近年に更新されたものだろう。 pic.twitter.com/uhbSDW4SmM
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ホームは相対式で2面2線。線路の間隔から昔は真ん中に通過線があったと分かる。 pic.twitter.com/CWaUEriVuP
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駅舎とホームを見下ろす。駅舎側に保線車両用の側線が2線、そして一番左の空きスペースは製紙工場の引き込み線の跡だ。 pic.twitter.com/XkEO7xV6Et
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かつては坂本駅からやや離れた場所に製紙工場があって、坂本駅との間を引き込み線が結んでいた。この工場が操業を開始したのは1898・M31で、八代~人吉が開業した1908・M41より早い。写真は工場跡地の公園。豪雨でここも水没した。 pic.twitter.com/c4WN7qteHq
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前ツイートで開通ではなく開業という用語を使ったのは、八代~坂本は工事が進んでいて開業前の1906・M39から製紙工場の貨物列車が運行していたからだ。ただし、引き込み線が開通したのは1952・S27で、それまで坂本~工場はトロッコが結んでいた。 pic.twitter.com/oMcZPzu18r
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【訂正】以前、肥薩線の八代〜人吉は川線、人吉〜隼人は山線と呼ばれると述べたが、山線は正しくは人吉〜吉松で、その先の吉松〜隼人は田園線という。間違った説明をお詫びして訂正する。 pic.twitter.com/mzF8yxlEHm
— タケ@ALL-A (@take_all_a) August 9, 2020
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