人吉城址
2020年7月4日の集中豪雨で、熊本県の人吉地域から八代市まで球磨川水系の地域に甚大な被害が生じた。被災地の方々に心からお見舞いを申し上げる。球磨川を簡単に説明すると、周囲の山からの支流が人吉盆地に流れ込んで球磨川に合流して西に流れる。盆地の西側で地形は平野から渓谷に急激に変化する。 pic.twitter.com/RshgZCQNuS
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 7, 2020
被災した自治体のひとつである人吉市は、盆地のボトルネックに位置するのだ。ここで人吉市の浸水域を地図で見てみよう。地理院地図に「浸水推定図:球磨川水系球磨川(2020年7月4日20時作成)」を重ねたものに加筆。この画面のURL https://t.co/SYf84Uvmc9 pic.twitter.com/bYncid5hQz
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球磨川の両岸で浸水域がはっきり分かれている。同じ場所をGoogleマップの地形モードで見ると、地形・標高の違いがよく分かる。 pic.twitter.com/gZfK79WoTv
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この状況を見て永太郎(ながたろう)さん @Naga_Kyoto が次のようにコメントされた。人吉は歴史的に浸水リスクのある右岸に町人地が、リスクの少ない左岸に武家地が形成されたというご指摘だ。https://t.co/fKbN1GJRq9
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ああ、なるほど。昨年(2019年)私は人吉市に行って人吉城址も訪れているのに、被災状況から浸水リスクとゾーニングの関係に気が付かなかった。写真は人吉城歴史館に展示されている江戸時代後期の人吉城と城下町の模型。 pic.twitter.com/A6IhOw64v3
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模型写真に主な名称を記入。もっとも、報道された航空写真を見ると、武家屋敷のエリアも浸水したようだ。ただ、今回の浸水高は近年の災害と比較して特に深かったとのこと。 pic.twitter.com/DXfRLXmMVh
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模型を別角度から。 pic.twitter.com/t7DVab5sGt
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この模型などが展示されている人吉城歴史館は、武家屋敷跡に建てられたガイダンス施設だ。この度の災害で当面の間、休館となった。
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人吉市 > 図書館及び人吉城歴史館の臨時休館のお知らせ https://t.co/bLlIZWcOBU pic.twitter.com/xuMo9GbH7e
人吉城の模型写真を追加。
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永太郎さん「町人地からは橋を二回渡らないと城に辿り着けない構造も城下町ならではですね」https://t.co/8uJnN6Quxn pic.twitter.com/gymoY9PDPN
昨夜ツイートした人吉城の話を続ける。これは球磨川に架かる橋から見た人吉市の景観で、左が市街地(旧町人地)、右が人吉城址である。川に小舟が浮かんでいるのが分かるだろうか。 pic.twitter.com/2X0DNtU68X
— タケ@ALL-A (@take_all_a) July 8, 2020
私は乗らなかったのだが、日本三大急流のひとつの球磨川を舟で下る「球磨川くだり」は、人吉観光におけるメジャーな体験プログラムだ。報道によると水害で舟は全て流されたとのこと。川の形が変わった可能性もあり、再開には時間を要する見込み。 pic.twitter.com/bQ9gLHytk9
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現代は観光用の舟だけになったが、昔の球磨川は水運が盛んだった。人吉城がこの位置に築かれたのも、球磨川を天然の堀に利用するのはもちろん、物流の事情があった。写真は水ノ手門跡とその現役時代の模型。年貢米や物資の輸送に使われた。 pic.twitter.com/vFgndoTeyW
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被災前に訪れた人吉城址の写真を何枚かアップしておく。時期は2019年5月。これは球磨川から見た角櫓(復元)で、武家屋敷エリアの西端、球磨川と支流の胸川の合流地点にある。武家屋敷エリアを西外曲輪(にしそとくるわ)という。 pic.twitter.com/NOCqIQYeM4
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武家屋敷エリア / 西外曲輪の西側にある多門櫓(復元)。人吉城址に現存する当時の構造物は石垣や礎石だけ。建築物では川沿いに建っていた櫓や塀、そして門のひとつが復元されている。 pic.twitter.com/CvoaP6h4ey
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武家屋敷エリア / 西外曲輪のメインストリートだった後口馬場(うしろぐちばば)。もちろんこれも復元。正面には「城主の御館」(今は神社)が建っていて、背後の山中に本丸、二の丸などがあった。 pic.twitter.com/3mElva8YhR
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右は人吉城の石垣(天端に注目)、左の白い塀の向こうに球磨川が流れる。 pic.twitter.com/q5Yefk5Wzs
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人吉城の石垣は天端に特徴があり、平らな石材が突き出た「はね出し石垣」というつくりになっている。「はね出し石垣」は国内ではお台場(東京)や五稜郭(北海道)といった西洋式城郭の採用例が主で、古典的城郭での採用は人吉城のみ。 pic.twitter.com/ZSRchYaAPm
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ここで人吉城の歴史を簡単に述べておく。人吉の領主は相良(さがら)氏といい、鎌倉幕府の源頼朝の命を受けて遠江国相良庄(静岡県)から1198(建久9)年にやってきて地頭になった。以来、1871(明治4)年の廃藩置県まで相良家が人吉・球磨地方の統治を続けた。 pic.twitter.com/b1YlwDjRZl
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日本史は詳しくないのだが、鎌倉時代から室町~戦国… そして江戸時代を経て明治初頭まで約670年もの間、一度も改易されずに同じ一族が領主を続けた事例は極めて稀であろう。 pic.twitter.com/XUS4ierUEH
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もっともこれだけ長ければお家騒動も度々起こっていて、藩主暗殺という取り潰し級の事件もあったが、上手く隠蔽したそうだ。
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togetter > 球磨盆地は「藩主が鉄砲で狙撃されて殺されるという事件があっても田舎すぎて幕府にバレずに事なきを得た」くらい他地域と隔絶した地域 https://t.co/DNs3mDMuLt
山城から石垣づくりの城への改修工事は1589(天正17)年から1601(慶長6)年にかけて行われた。その後、球磨川沿いの石垣工事が1607(慶長12)年に始まって1639(寛永16)年に中断されるが、この時点で近世の人吉城はほぼ完成する。 pic.twitter.com/I1a5RRp4WU
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前述した「はね出し石垣」のはね出し部分は後年のもの。1862(文久2)年の火事で城内のほとんどの建物が焼失した後、石垣の高さを増して天端にはね出しを設けた。これには武者返しの役割がある。 pic.twitter.com/wbpSGig9jq
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人吉城歴史館に展示されている「はね出し石垣」の模型。右がはね出しのない火災前の石垣で、左が火災後の改築。このはね出しの国内初事例は1853(嘉永6)年の品川台場(東京)。 pic.twitter.com/mjEgtJVlaX
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これは確か二の丸から三の丸あたりかな。武家屋敷エリアから見て低い山だろうと高をくくっていたものの、実際に登るとけっこうキツかった。元来は軍事拠点だからね。そもそも自分は熱心な城好きではなく、せっかく人吉まで来たから寄ってみるかくらいの軽い気持ちで登り始めて後に引けなくなったw pic.twitter.com/Hi7uboQCvt
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頂上の本丸跡。地形的には天守台に相当するが天守閣は建てられず、江戸期は護摩堂(ごまどう)などがあったとのこと。礎石はその遺構。 pic.twitter.com/wihaQdC3vb
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人吉城址から見た市街地(かつての町人地)の景観。山に囲まれた盆地であることが分かる。中央は球磨川の中州。ここは全て公園で人家は存在しないので水没しても特に支障はない。 pic.twitter.com/CAmWFTNhm4
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