三井化学専用線02 宮浦駅
三井化学専用線(福岡県大牟田市)の続き。廃止の報を聞いたものの私はすぐには動けず、4月に行こうと思っていたらコロナ禍で不要不急の外出は自粛せよとのお触れが。悩んだ末に廃止直前の4月末と5月初旬の2回、現地行きを敢行した。まあ、県内の移動だし3密は避けたし、用が済んだらすぐ帰ったし… pic.twitter.com/UGqqKRoykd
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
三井化学専用線の車両基地である宮浦駅(宮浦操車場)。まずは車両ではなく駅構内の様子を紹介していく。広大なヤードに何本もの軌道が延びていて、遠くには宮浦坑のレンガ煙突が建っている。三池炭鉱が現役だった頃の雰囲気が感じられる景観だ。 pic.twitter.com/JlJgIPe8LG
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
三池炭鉱専用鉄道(三池鉄道)は1878・M11の馬車鉄道が始まりで、蒸気機関車による本格的な鉄道は1891・M24に開業した。当初の区間は大浦坑~横須浜間、その中間駅として宮浦駅も設置された。つまり宮浦駅は三池鉄道の開業から三井化学専用線の廃止まで、全時代に渡って存続した唯一の駅になる。 pic.twitter.com/eIz8UWNlFi
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
東泉町2号踏切。宮浦駅構内はもちろん立入禁止であり、構内を横断できるこの踏切は貴重な視点場だった。背景は三井化学大牟田工場のプラント。駅といっても炭鉱や工場の専用線なのでホームはない。戦後、勝立線で通勤輸送を行っていた時期にホームがあったらしいが撤去済み。 pic.twitter.com/NnOlNajsXW
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
同じく東泉町2号踏切。左奥の建物は切り妻屋根が三井金属鉱業の建屋で、その奥の白いビルは三井化学のシンボル、J工場。 pic.twitter.com/FQm8xY3UKg
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
東泉町2号踏切から北側を見る。中央のレールは仮屋川操車場に通じる旭町支線、右は工場引き込み線、左の2本は留置線。昔は踏切の北側にもヤードが広がっていたが撤去されており、こちら側の景観は炭鉱の現役時代とは大きく変わっている。 pic.twitter.com/plMkKNDcib
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
工場引き込み線は三井金属鉱業の敷地を少しかすめて三井化学の敷地に延びている。現在、三井金属鉱業の大牟田工場はセラミックス事業部を担っているとのこと。その建屋は戦前の竣工と思われるが詳細は未確認。 pic.twitter.com/R0qjxAGpwI
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
踏切以外の敷地境界線には高いフェンスが設置されている。撮り鉄の皆さんはそれを知っているので脚立を持参。横目で見た印象では、使用カメラはその大きさからミラーレスではなくフルサイズの一眼レフがまだ多数派かな。 pic.twitter.com/oRGQvWN8rs
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
そこまでのガチ勢ではない私は、1型センサーコンデジのレンズを網目に突っ込んで撮影。私は車両のアップよりも景観が撮りたいので、これくらい撮れれば十分だ。大気が霞んでいるのは黄砂のせい。一応「かすみの除去」で処理しているが、控えめに抑えている。 pic.twitter.com/IFLtXJC5wx
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
宮浦駅の駅舎。東泉町2号踏切から望遠レンズで撮影。 pic.twitter.com/OoK9maprRj
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
宮浦駅の駅舎を沿道から見る。木造2階建ての切妻屋根。建設時期は未確認。戦前の建築だと思うが、さすがに開業した明治期のものではなかろう。 pic.twitter.com/41XzgfhiQE
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
補修しながら大切に使ってきたことがうかがえる。 pic.twitter.com/u93jNLas0P
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
宮浦駅構内の片隅にある小屋。下記のサイトによると秤量所 (しょうりょうじょ、ひょうりょうじょ)という施設らしい。もともと小屋がある方は宮浦坑ホッパーの積出線だった。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
炭鉄本館 > 宮浦駅秤量所 https://t.co/LEV6ACdeVf pic.twitter.com/Tjj4kX8pY2
石炭を積んだ貨車の重量をチェックしていたという理解でいいのかな? pic.twitter.com/Ri08bk3TyS
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
計重台という貨車の重量を計測する設備が小屋付近にあったのだと思う。トラック用のトラックスケールと同じようなものかな。で、その計重台の正確性をチェックするのに使われたのが、宮浦駅の南端にあった検重車(けんじゅうしゃ)というわけか。 pic.twitter.com/eP8LYU98ji
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
宮浦駅のヤードと宮浦坑の煙突。この煙突の右手前にホッパーがあった。掘り出した石炭をホッパーから貨車に積んで輸送した。ホッパーは1995・H7年頃まで残っていたようだ。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
宮浦駅石炭ホッパー https://t.co/LWzhrklVJv pic.twitter.com/KZKzIBcJ82
宮浦坑は三池炭鉱初期の坑口のひとつで、操業開始は1888・M21、閉坑は1968・S43である。このレンガ造煙突は操業開始年に完成したもので高さは31.2m。三池炭鉱で現存する煙突はこの1基のみ。 pic.twitter.com/lywT1wzsML
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
その宮浦坑跡地から宮浦駅を見下ろす。跡地は公園に整備されたが、煙突や斜坑口などごく一部を残してほとんどの遺構は撤去された。そのため、明治時代の煙突が現存するにもかかわらず世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産には登録されていない。 pic.twitter.com/rDuwvuZxzt
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
炭鉱鉄道なのだから宮浦坑と宮浦駅は一体的な保存が望ましい。せめて視点場はほしい。しかし、公園整備の際、駅側にフェンスと植栽が設置されて容易に近寄れなくなった。これは転落事故防止と、もしかしたら化学工場プラントの撮影を抑止する目的もあったのかもしれない。 pic.twitter.com/5gx76EQTp7
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
秤量所の補足。ウェブサイト「三池炭鉱専用鉄道研究所」に情報が載っていた。秤量器(計重台)の遺構は小屋の横に現存するようだ。秤量所付近の沿道からの目視を怠っていたので気付かなかった。https://t.co/m4theMHJws
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
もうひとつ追記。宮浦駅の架線柱。横架材はアングルをケーブルで吊って支えている。かなり古いものと見て間違いないが、設置時期は未確認。 pic.twitter.com/sfWVfJf82f
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 31, 2020
【関連記事】