三井化学 白川社宅
かつて三井三池炭鉱で栄えた福岡県大牟田市では、炭鉱労働者とその家族は炭住(炭鉱住宅の略)と呼ばれた社宅に住んでいたが、ほとんど(全て?)解体されてしまった。炭住は大半が木造で、職員向けには鉄筋コンクリート(RC)造もあった。写真は三川坑近くの入船社宅(現存せず)。 pic.twitter.com/WHL4pLXWqr
— タケ@ALL-A (@take_all_a) May 24, 2020
木造長屋の炭住に対して、鉄筋コンクリート造の社宅が充実していたのが三井の化学系企業だ。三井は石炭を利用した化学工場を大牟田市に建設し、炭鉱閉山後の現在も操業を続けている。社宅のひとつ、三井化学 白川社宅は私が市内を移動中にたまたま見つけた。 pic.twitter.com/7rRdouVaZF
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手元の資料によると、白川社宅は三井化学の前身である東洋東圧工業の時代、1958・S33年に建てられたもので、設計は同社の大牟田工業所土建課による。東洋東圧工業 → 三井東圧化学 → 三井化学と変遷。撮影は2007・H19年。現存せず。 pic.twitter.com/vBtnQQWiSK
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昔は自社の営繕部門が社宅も設計することが珍しくなかった。白川社宅は公営住宅のような機能一辺倒ではなく、ルーバーに意匠的なデザインが施されていて、全体的なプロポーションも良い。インハウス アーキテクトの非凡さがうかがえる。 pic.twitter.com/LRNHy71a9O
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図面を見ていないので推測になるが、ルーバー部分は台所のサービスバルコニーで、ゴミやバケツなどの目隠しのためにルーバーを設けたのではないか。 pic.twitter.com/0Y6KyoAku3
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裏側の北立面。階段室型なのに片廊下も備えている。丸い孔のある壁に覆われた部分が玄関のようだ。RC造集合住宅の事例が少なかった当時、普通は公営・公団の団地を参考にすると思うのだが、それらとは異なる独特なデザインが見られるのが社宅の面白さだ。 pic.twitter.com/HeUGGbNVrO
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追記。先ほど日本給水党党首のUCさん @watertowerUC から白川社宅の資料が送られてきました。どうもありがとうございます。出典は「コンクリートアパートの実例集」(理工学社/1961)。 pic.twitter.com/7pRZn91orm
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ルーバー部分は物干し場で洗濯物と浴室の目隠し。もっとも、住民は洗濯物を直射日光に当てることを好み、ルーバーに囲まれたスペースは使われていない。間口が広い。ダイニングテーブルが固定式なのは公団の影響。そしてこの時代にLDK! かなり早い事例だ。 pic.twitter.com/bOyAeZxaHg
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