三池炭鉱専用鉄道の廃線跡02(宮原踏切跡〜宮原坑)
三池炭鉱専用鉄道の廃線跡の続き。前回は宮浦操車場南端から宮原踏切跡まで述べた。今回は同踏切跡から宮原坑付近の状況を説明する。写真は宮原踏切跡から宮原坑(みやのはらこう)方面を見たところで、カーブの先に竪坑櫓が見える。撮影 2014・H26。 pic.twitter.com/KZxbhxnxpI
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
国土地理院 空中写真(CKU201616-C6-109 撮影 2016 平28)をトリミングして加工。前回掲載したものに「宮原踏切跡」の位置を追記した。三池炭鉱宮原坑、廃線跡とも世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である。 pic.twitter.com/zdtMpVotTu
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
沿線の道路から廃線跡と宮原坑を見る。早鐘踏切から始まった切り通しは宮原踏切で一旦途切れた後、再び切り通しとなる。つまり、切り通しの切れ目に踏切が設置された。 pic.twitter.com/Co5P73dJqS
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
跨線橋から宮原踏切の方向を振り返る。線路と宮原坑とはけっこう高低差があることが分かる。かつては宮原踏切付近から宮原坑の敷地内に引き込み線が延びていた(後述)。 pic.twitter.com/cgBWtqnlNE
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
廃線跡のうち世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の部分は立ち入りが規制されている(入ってもたいして問題ないけどね)。ただ、毎年11月初旬に開催される「炭鉱(やま)の祭典」というイベント中は、部分的に立ち入り可能だ。これはそのときの撮影。2019・R1年11月。 pic.twitter.com/PHSHsq19M0
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
廃線跡から宮原坑の竪坑櫓を見る。なお、停まっている車は「炭鉱の祭典」イベント関係者のものと思われる。通常、敷地内に一般車両は進入できない。 pic.twitter.com/ntSwe1bX27
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
2014年の時点ではほとんど埋まっていたPC枕木だが、その後、土が取り除かれて露わになっている。実は、将来はここにレールを敷いて鉄道らしい情景を再現しようという計画がある。 pic.twitter.com/V24vNHDvZN
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
宮原坑の整備後の完成予想図。出典:保全状況報告書(平成29年11月30日提出)付属資料b)-15-1 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産7-1 三池炭鉱・三池港(エリア7 三池)のうち三池炭鉱の保全措置の計画及び実施計画 pic.twitter.com/wQ3BLaUIV6
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
この資料は、下記リンク先の文書リスト「全体版」または「勧告b)に対する回答本文の付属資料(その4)」からダウンロードできる。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
内閣官房 産業遺産の世界遺産登録推進 > ユネスコ世界遺産センターへの保全状況報告書の提出について(平成29年11月30日提出) https://t.co/enjXKRopiL
この予想図によると、複線のうちPC枕木が現存する方にレールを敷いてレールバイクを走らせる、枕木が残っていない方は遊歩道にするようだ。具体的な完成時期はまだ分からない。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月18日
【訂正】三池炭鉱専用鉄道の廃線跡にレールを設置する計画について、廃止される三井化学専用鉄道のものを再利用する可能性を述べたところ、大牟田市在住のよしたかさんに「JRからもらっている」と教えていただきました。よって当該ツイートは取り消します。https://t.co/PfN0mHW7dT
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
昨夜の続き。ここまで三池炭鉱専用鉄道の本線について述べてきたが、宮原坑敷地内の軌道にも少し言及しておく。写真は明治末~大正初期の宮原坑(現地のパネルより)。現存する竪坑櫓は左の第二の方で、右の第一や施設群の大半は解体されている。 pic.twitter.com/EMT3qvcWT5
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
撮影時期不明の写真(現地のパネルより)。本線からの引き込み線や構内軌道が写っている。 pic.twitter.com/MQA4chYoio
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
1905・M38頃の宮原坑(現地のパネルより)。第一竪坑櫓の上から北に向けて撮影したもの。宮原踏切付近から扇状に広がる軌道のうち、一番右が三池炭鉱専用鉄道の本線で、他は引き込み線や構内軌道だ。 pic.twitter.com/AphD5mwqh7
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
Googleマップの3Dモードでほぼ同じ構図を見る。分かりやすいように第一竪坑櫓より南に引いて、第二竪坑櫓も視界に含めた。宮原踏切跡から扇状に広がっていた敷地形状が、民家が建て込んだ現在もだいたい読み取れる。 pic.twitter.com/oiALi4hsGs
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
1908・M41と1918・T7における宮原坑の配置図(現地のパネルより)。各種の施設や軌道が発展する様子が分かる。 pic.twitter.com/ZDSSeRkorB
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
そして1939・S14における配置図(現地のパネルより)。宮原坑は1931・S6に採炭を終え、ここから石炭を運び出すことはなくなったため、大正期に比べると施設や軌道が減っている。 pic.twitter.com/Sglb9NrOv1
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
この1939・S14時点の配置図に描かれた中で現存する施設(黄色の文字)を示す。観光客の関心は「第二竪坑櫓」「巻揚機室」「デビーポンプ室の壁」の3件に集中するのだが、他にも現存する施設がある。(誤って消したので再掲) pic.twitter.com/a3wt3E6WrE
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
前掲の配置図とほぼ同じ範囲をGoogleマップの写真モードで見る。主な3件以外に「用途不明の施設」や「安全燈室」が現存する。「変電所」は同時期の建設なのか1939・S14以降か、よく分からない。 pic.twitter.com/8jdFNvnBfv
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
配置図によると解体された「煉瓦工場」に入る軌道は描かれている一方、「用途不明の施設」に軌道は延びていない。ただ、それは1939・S14の状況であって、他の時期に「用途不明~」への軌道が存在したか否かは分からない。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
「用途不明の施設」「安全燈室」「変電所」。撮影 2014・H26。宮原坑が閉坑した後は、別の会社が使っていたようだ。今のところ非公開。 pic.twitter.com/JFkUIZnkrU
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
この変電所ですが前のコンクリートの建物が大正からあるもので安全燈室と同じ時代のもので奥のトタンのものは昭和に付け足されたものです。( ˙꒳˙ ) pic.twitter.com/G4g8GPgJTJ
— よしたかG3の大牟田放浪記 (@AZCFn8nfwBQECLy) 2020年3月19日
ありがとうございます!https://t.co/0BaM8R38cl
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
三井化学さんが2012年頃まで
— よしたかG3の大牟田放浪記 (@AZCFn8nfwBQECLy) 2020年3月19日
使っていたそうです( ˙꒳˙ )
かつて引き込み線が存在した辺りから宮原坑の第二竪坑櫓を見る。水路は残っているが、軌道の痕跡は見出せない(もっと詳しく探せば何か見つかるかもしれないけど、私はそこまで時間をかけていない)。 pic.twitter.com/6XINcZlDhg
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
付け加えると、宮原坑の敷地内に戦後、三池炭鉱の幹部職員向けの社宅(白坑社宅という)が建設されて、1棟だけ残っている。ただ、宮原坑の現役時代と直接の関係はない。 pic.twitter.com/Ln1Mn0nsai
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日
古写真や配置図を示して敷地内の軌道を説明した関係上、竪坑櫓以外の宮原坑の施設についての説明が長くなってしまった。廃線跡の本題から少々逸脱してしまったが、今回はここで終わる。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2020年3月19日