平和祈念展 in 福岡
福岡アジア美術館(福岡市)の交流ギャラリーで開催中の「平和祈念展 in 福岡」を見てきた。平和祈念展示資料館(東京都新宿区)の巡回展で、福岡市が所蔵する史料も併せて展示されている。会期が11/21〜26と短いのが残念。週末を2回挟む2週間はほしかった。 pic.twitter.com/SwGZMtBbqD
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年11月24日
展示品の中からシベリア抑留関係をいくつか紹介する。これは抑留体験者の証言を元に再現した強制収容所(ラーゲリ)の模型。 pic.twitter.com/q936H2jKE3
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構造はログハウスだ。 pic.twitter.com/KXken6m1DD
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配置図。 pic.twitter.com/nL2IesDoDh
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抑留者が自ら木を削り出して作ったスプーン等。 pic.twitter.com/Bdr4UO4lqo
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レンガを焼く作業に従事していた抑留者がソ連兵に隠れて焼いた手製の湯呑み。「堪へ忍べ」という文字が彫られている。 pic.twitter.com/9MhGhi73lB
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赤十字社などを通じて抑留者は故郷と手紙のやりとりができた。ただし、ソ連側が検閲する。最初の頃はすべてカタカナで書くように指示された。その原文と普通の文章に書き起こしたもの。検閲を通すためだろう、ソビエトを賞賛する内容になっている。 pic.twitter.com/SozE7286w9
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収容所では共産主義教育が行われ、実際に共産主義者になった者もいる。とはいえ、この手紙の主がそうであるかどうかは分からない。
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国家防衛委員会決議 第9898cc号(たぶん複製)。日本軍捕虜の受け入れ、収容、労働利用について記した書類で、スターリンの署名がある。 pic.twitter.com/4hjw4MzDj5
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第9898cc号の「cc」はカーボンコピーの意味かな。
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次は福岡市が所蔵する引き揚げ関係の史料の一部を紹介する。戦後、中国大陸や朝鮮半島、太平洋の島々に残された軍人・軍属・民間人、計660万人の帰国が急務となった。博多港に上陸した引き揚げ者は139万2千人で、佐世保港と並んで最大規模の引き揚げ港だった。 pic.twitter.com/j3edxt2M6w
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福岡市は引き揚げ関係の史料を多数所蔵し、一部は市民福祉プラザ(福岡市中央区荒戸3)1階ホールに展示されているが、面積が狭くて十分な内容とはいえない。また、現時点で独立した平和資料館の計画はない。 pic.twitter.com/df8CBZ2hpa
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ただ、今回の福岡市側の展示は、平和祈念展示資料館の合同というスペースに限りある中で、内容的によくまとまっていたと思う。資料館建設の気運が高まることを期待したい。写真は引き揚げ者の柳行李と衣類。 pic.twitter.com/zGO7Dn4G8V
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厚生省博多引揚援護局が発行した引揚証明書。日付は昭和21年10月13日。この方はソ連軍管理下の平壌から38度線を越えてアメリカ軍の管理地域に脱出し、帰国を果たしたとのこと。 pic.twitter.com/Griv34aCzQ
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引揚者腕章。一番左に「博多沖停泊七日間」と書かれているのは、検疫に時間がかかったためだろう。また、この腕章は中国の瀋陽市で配布されたものだが、年号が中華民国歴(民国紀元)である点にも注目。つまり中国共産党に敗れて台湾に逃れる前の時期だ。中華民国35年は西暦1946年・昭和21年。 pic.twitter.com/Vqqew4Dkw2
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引揚者で身寄りのない孤児は聖福寺(福岡市博多区)の境内に設けられた聖福寮という施設に預けられた。これは14歳の女児の名簿。引き揚げ中に母親と姉弟を亡くし、入寮時の体重はわずか28.5kgしかなかった。結核により死亡する。 pic.twitter.com/7QeKNwOk07
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満州で生まれた娘に、日本に着いたときに着せるため、亡くなった赤ん坊のおむつを使って母親が作ったワンピース。これが最も胸に迫ったなあ…(注:福岡市ではなく平和祈念展示資料館の所蔵品) pic.twitter.com/gJhyS7RKR9
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