2019年9月 大分旅行02 大分市と津久見市の現代建築
2019年9月の大分旅行の報告、現代建築編。まずは大分市美術館(内井昭蔵、1998・H10)。大分市は何度か訪れているが、市の美術館には初めて行った。竪樋の使い方が上手いな。 #大分市美術館 #内井昭蔵 pic.twitter.com/ftFXbfC3Tx
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九州には内井さんの建築は少なくて、実作をきちんと見たのはこれが2件目。敷地の地形は小山の頂上から斜面で、美術館に求められる複雑なプログラムを、高低差を活かしながら平面・断面に展開し、多様なデザイン要素を散りばめている。さすがはベテランだ。 pic.twitter.com/WxLO9kkzIJ
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大分市美術館の模型。常設展示室(左)と企画展示室(右)を別棟に分けている。たぶん山頂の限られた平地に建てるために分棟としたのだろう。 pic.twitter.com/kGSKmC9c0l
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常設展示室の駐車場側立面。 pic.twitter.com/EjI8xMb7P6
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常設展示室の斜面側。この辺に立ち入る人はほとんどいない。ちょっともったいないね。彫刻やオブジェを置いて見学ルートを整備すればいいのに。 pic.twitter.com/Hn0GrC6Znd
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企画展示室の屋上。いろんなデザインが盛り込まれながらも統一感がある。このセンスは凄いな。 pic.twitter.com/WDFQh8VULJ
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大分市美術館の #定礎 pic.twitter.com/yxK1IhE708
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ただ、大分市美術館は市中心部からそれほど遠くはないものの、山の上に位置してアクセスはよくない。美術館は来場者が多い施設ではないとはいえ、あまりにも閑散としていた。写真はティーラウンジ。 pic.twitter.com/w6t0fJTZVW
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図書コーナー。雁行するガラス面に合わせた特注の机を置いている。緑に包まれた環境で美術書を読むというわけだが、やはり誰もいない。大分県立美術館(坂茂)が市の中心部に建てられたのは、こういう状況を考えてのことだろうな。 pic.twitter.com/90GQU9EiNZ
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大分市美術館を訪れたのは、大分市出身の建築家 磯崎新氏を取り上げた展覧会「磯崎新の謎」展を観賞するため。会期は11/24(日)まで。 pic.twitter.com/k2n65Accn9
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模型や図面を並べた通常の建築展ではなく、磯崎さんの思想や論理に迫るというかなり高度な内容。学生時代に磯崎さんの著作を数冊読んだ程度ではよく分からん。 pic.twitter.com/KUmAkV0bAs
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とはいえ、模型も多少は展示されている。これは落選を承知で提出したことで有名な新都庁舎コンペ案。この模型はアートプラザ(大分市)の「磯崎新建築展示室」で見たことあるけどね。 pic.twitter.com/23CsVJayMZ
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祝祭の広場(ヨコミゾマコト他、2019・R1、大分市)。大分パルコ跡地を市が広場・イベントスペースに整備するにあたってコンペが実施された。選出された当初の案は、2基の橋形クレーンを使うものだったが、最終的には可動式屋根に変更された。通りすがりに撮影。 pic.twitter.com/0XB0paUvzY
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これほど大きな可動式構造物を公共の広場に設置した例は少ない。しかも博覧会などの仮設ではなく恒久的な建築だ。構造はアラップ ジャパン。 pic.twitter.com/3KC6QbQfro
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コンペには特別選考委員として磯崎新氏も加わった。可動式の屋根 / クレーンというと、前述した磯崎さんの都庁コンペ案に同様の広場があったことを思い出す。遡れば丹下研時代に磯崎さんが関わった大阪万博の「お祭り広場」に行き着く。 pic.twitter.com/Ct4BtXmMcf
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【訂正】つまり、ヨコミゾさんの案は選考委員に磯崎さんがいることを踏まえたもの、と理解していいのかな。いや、別に批判するつもりはない。コンペで勝つにはそういう戦略も必要。なお「祝祭の広場」(当初は祝祭広場、商標権の問題で変更)という名称はコンペ前に大分市が決めていた。
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2019年9月の大分旅行の報告、現代建築編の続きで次は津久見市。大友宗麟の墓( #磯崎新 、1977・S52、大分県津久見市)。キリシタン大名として有名な大友宗麟は津久見の地で没した。大分市美での磯崎展をきっかけとした旅行だが、今回見た磯崎さんの実作はこれのみ。 pic.twitter.com/9rdb7XVgig
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宗麟の死後、彼の墓はキリスト教式で建立されたものの、後に仏式に改められた。そして昭和時代に大友宗麟顕彰会がキリスト教式の墓碑を建立するとともに、周辺が宗麟公園として整備された。なお、そばに仏式の墓も残っている。 pic.twitter.com/nSQUbdoAwa
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墓碑は磯崎さんの建築ではお馴染みのヴォールト型で、周囲をU字型の壁が囲んでいる。 pic.twitter.com/sERloDxDaH
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この構成に何か見覚えがあるなと思ったら、大分市美術館の磯崎展で見たY邸(1975・S50、神奈川県川崎市)と同じだ。 pic.twitter.com/00mv7oYbuv
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ドン フランシスコは大友宗麟の洗礼名。 pic.twitter.com/jLeLIEz8r0
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墓碑の近くにある大友宗麟の立像。作者は八紘一宇の塔(宮崎市)や日本サッカー協会のシンボルマークのデザインで知られる彫刻家の日名子実三である。日名子は大分県臼杵市の出身で、大友氏は臼杵の城主だった(後に改易される)。 pic.twitter.com/CfguriR5Qg
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津久見でもう1件。津久見市庁舎(日建設計工務 / 現 日建設計、1958・S33、大分県津久見市)。昭和30年代の庁舎をよく使い続けているなあと感心したが、後で調べたらさすがに建て替え計画が持ち上がっていた。 pic.twitter.com/df52dM4P3T
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このデザイン、同じ日建設計工務による宮崎県の日南市庁舎とほぼ同じだ。 pic.twitter.com/7s4Ta92e7C
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日南市庁舎(1956・S31、宮崎県日南市)。こちらの方が2年早いが、日南にあった塔屋が津久見には存在しないことから、後年の津久見はシンボル性を廃してモダニズムの機能性・純粋性をより意識したデザインだといえる。 pic.twitter.com/WxJjtaofQB
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津久見市庁舎の別館。本庁舎と同時期。 pic.twitter.com/YSpLVWbwGz
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