2019年5月 熊本旅行05 八代市の製紙関連の産業遺産
2019年5月に行ってきた熊本県八代市・人吉市地域の報告、速報版。今回は八代の製紙業の産業遺産について紹介する。八代市の中心部、八代駅の近くにある日本製紙八代工場は、もともと九州製紙坂本工場の分工場として1924・T13に操業を開始した。 pic.twitter.com/3yyLO2MsS0
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月15日
創業の地である坂本工場は既に廃止・解体済みで、跡地は公園(くま川ワイワイパーク)に整備されている。創業当時から近年までここは坂本村という自治体だったが、2005・H17に周辺町村とともに八代市と合併して同市の坂本町となった。 pic.twitter.com/kb6zQKRk8A
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坂本村に製紙工場を建設した当時の会社は東肥製紙という(正確にはM28に肥後製紙創立、翌年に東肥製紙と改称)。坂本工場の操業開始は1898・M31。敷地は球磨川の支流である油谷川沿いで、球磨川水系の豊かな水資源が工業用水、発電、水運に利用された。 pic.twitter.com/sQj0zaUpBN
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ところが操業開始翌年の1899・M32に火災が発生して工場は焼失。九州製紙が事業を引き継いだ。九州製紙時代は水力発電所や八代工場を建設するなど会社は発展。1926・T15に同業他社と合併して樺太工業に、1933・S8にはさらに他社と合併して王子製紙となる。 pic.twitter.com/EpyFVNxDmz
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しかし戦後、GHQの集中排除法により王子製紙は分割され、坂本・八代工場は十條製紙の工場となる。1966・S41、十條製紙は九州の工場を八代に統合、坂本工場は子会社の西日本製紙が継承する。1988・S63、八代工場への大規模設備投資に伴い西日本製紙は解散となり、坂本工場は廃止された。
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1993・H5、十條製紙と山陽国策パルプが合併して日本製紙が誕生、八代工場はその一工場として現在に至る。坂本工場跡地の公園には当時の遺構などがわずかながら残っている。これは記念碑等。左から碑文、十條製紙発足10周年の石碑、西日本製紙2代目社長の書の石碑、パルプ砕木機の砥石(たぶん)。 pic.twitter.com/y7OfsGK4z4
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碑文には「原木を摩砕するために使われたもの」と記載。使い方は下記リンク先を参照。「回転する巨大な砥石に丸太を押し付け、摩砕してパルプにする方法」とのこと。
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自然と歴史の中を歩く! > 北遠の王子製紙①―明治22年操業開始 https://t.co/eED7CoQaa8 pic.twitter.com/VsdBIqPBYF
肥薩線 坂本駅から坂本工場まで延びていた工場専用線の築堤。開通したのは戦後の十條製紙時代の1952・S27。 pic.twitter.com/Mzx3JX8ale
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築堤上の廃線跡。この専用線ができる前はトロッコ軌道、さらに昔は川を船で輸送していた。 pic.twitter.com/7GQaj5QhE8
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築堤沿いに残る橋台。 pic.twitter.com/HMwii24GFm
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築堤の下部には用途不明のトンネルが数カ所ある。そのひとつ。法面に対してわざわざ斜めに掘られているのは、設備的な理由からだろうか。 pic.twitter.com/i43wJFDFXD
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トンネル内部。十数メートル程度で行き止まり。埋めたのか、元からこの長さなのか。 pic.twitter.com/tRUAYw0U13
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工場専用線 坂本隧道の工場側坑口。フェンスの手前から撮影。扁額と十條製紙の社章が残る。なお、坂本駅側の坑口は見ていない(時間切れで断念)。 pic.twitter.com/2LLHONh0Tv
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肥薩線 坂本駅。左の空きスペースが工場専用線の跡。 pic.twitter.com/WIf6jFjoRy
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坂本駅近くの肥薩線の跨道橋。レンガ造橋台は工場専用線の跡。専用線は戦後の開通なのにレンガ造という点が疑問だが、専用線のスペースを空けるために肥薩線を横にズラしたのかな? だとしたらレンガ造橋台自体は肥薩線開通当時の構造物ということになる。 pic.twitter.com/mdrY1LTveP
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そして、八代の製紙関連の産業遺産における一番の大物がこの深水発電所だ。中田さんの「九州ヘリテージ」でその存在を知って以来、いつか見たいと思っていた遺構をようやく訪れることができた。 https://t.co/aWcyYlp3Cc pic.twitter.com/8DYzbJ4CKg
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深水発電所は九州製紙時代の1921・T10に坂本工場のための水力発電所として竣工した。坂本工場の閉鎖に伴い同発電所も役目を終え、現在も後継企業である日本製紙が所有する。内部には竣工当時の発電設備が現存。たいへん貴重な産業遺産だ。 pic.twitter.com/d1ohmpeDHT
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古さの割に屋根が妙に綺麗なことにお気づきだろうか。なんと2008・H20に修復工事が行われたのだ。つまり会社として今後も保存する意向だということ。ただし、今のところ公開の予定はない。 pic.twitter.com/FbQR3PiFeg
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十條製紙の社章の痕跡。 pic.twitter.com/x2uKDL3ELj
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さらに背後の山中には水路や水管橋が、山頂にはサージタンクも残っているとのこと。これらも発電所建屋と同時期の建設。樹木の生え具合から導水管の存在が読み取れる。なお、サージタンクを望遠レンズのアップで撮るのをうっかり忘れたので、全景写真を拡大してみた。たぶんコレだと思う。 pic.twitter.com/2CE3addUGF
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昨夜の続き。「道の駅 坂本」(熊本県八代市坂本町)には坂本工場の歴史を紹介するコーナーが設けられている(付け加えると日本初のダム撤去事例となった荒瀬ダムのコーナーもある)。荒瀬ダムの件は後日に回し、今回は坂本工場関係の展示物を何点かUPする。 pic.twitter.com/YootsiYO1T
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「安全の鐘」。キャプションがないので詳細不明だが安全啓発のモニュメントだろうか。右の鐘には十條製紙の社章がある。 pic.twitter.com/T150wBmclK
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西日本製紙時代の正門の表札。 pic.twitter.com/35FvEZkvos
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坂本工場で生産した色上質紙のロール。 pic.twitter.com/UenQbhjESD
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明治30年代、最初期の坂本工場の写真。 pic.twitter.com/mkMMYNGCdX
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原料や製品を球磨川に浮かべた舟で輸送していた頃の様子。撮影時期は不明。 pic.twitter.com/qMHBIgN9k5
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現役時代の深水発電所。撮影時期は不明。 pic.twitter.com/o3nLm1Lhos
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西日本製紙時代の坂本工場の写真。これも撮影時期は記されていないが、西日本製紙ということは1966・S41以降。 pic.twitter.com/7AualwsvZn
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熊本県八代市の製紙産業の続き。八代駅のホームから見た日本製紙八代工場。九州製紙時代に坂本工場の分工場として1924・T13に操業を開始した。現在は日本製紙の九州における唯一の主要工場である。 pic.twitter.com/jJR41Y0WVf
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月20日
『熊本の近代化遺産【下】』(熊本産業遺産研究会・熊本まちなみトラスト、弦書房)によると、操業開始当時の建屋が1棟現存するらしいが、外部からは確認できない。 pic.twitter.com/yWZEkL9wck
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戦前の建築物では他にクラブハウスと事務所が現存。また、1950〜60年代の守衛室、診療所、体育館が現存する。この辺は下記のブログを参照されたい。
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Fukupedia > 日本製紙八代工場の建築 https://t.co/Ju0CBVYJFN pic.twitter.com/GMgB43kkTA
関連施設では体育館だけチラ見した。前述のリンク先によると十條製紙時代の1960・S35に竣工。設計は十條製紙八代工場工作課。屋根はRCシェル(シャーレンともいう)。 pic.twitter.com/iwI0Q8ZZtY
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月20日
Googleマップで八代工場を見る。地名が十条町となっているのは十條製紙に因んでいるのだろう。また、敷地内に引き込み線 / 構内軌道の跡が読み取れる。 pic.twitter.com/g9dmnYiVX6
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月20日
なお、八代市中心部で線路が大きくカーブしているのは八代工場を避けたからではない。初代八代駅は現位置より西側にあって、鉄道が八代以南に延伸した直後は線路が折り返しの形だった。これでは不便なので付け替えた結果がこのカーブで、工場進出はその後である。 pic.twitter.com/975qHGU9Ly
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月20日
そして団地編でも紹介した日本製紙八代工場 日置社宅の給水塔。建設は十條製紙時代の1950年代と思われる。団地でよく見かけるとっくり型の派生ではなく、ウラジーミル シューホフ(ロシア)が先鞭を付けた双曲面構造タワーの影響を受けているのではなかろうか(確証無し)。 pic.twitter.com/cycijMTCr0
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年6月20日
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