明延鉱山 北星社宅 木造
兵庫県の産業遺産である日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の構成資産を巡る旅、養父(やぶ)市の明延(あけのべ)鉱山編を続ける。山の中の鉱山町には、労働者とその家族が住むための社宅が必要となる。 #鉱石の道 pic.twitter.com/tQ5zCj3f9y
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年5月10日
明延鉱山の現役時代、地区内には複数の社宅街が建設された。そのうち複数の住棟がまとまって残っているのが北星(ほくせい)社宅である。構造は木造とプレキャストコンクリート造の2種類。まずは木造から紹介する。Googleマップ https://t.co/KMMc2RZeGs pic.twitter.com/eK8ev50o5Y
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明延の集落は明延川が形成した谷間に細長く展開しており、北星社宅は地区の北端に位置する。川の東西両岸の傾斜地がヒナ壇状に造成されて、木造長屋が並んでいた。建設時期は1933~38(S8~13)年。現存するのは西部の4棟。1棟あたり5戸。 pic.twitter.com/q0NK6WlnyL
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戦前に建てられた木造長屋の社宅は国内各地にいくつか現存する。その状態は様々だが、北星社宅はかなり良好で、ボランティアの手によって補修作業も行われている(屋根のトタンは近年の塗り直し)。産業史・集合住宅史において貴重な建築物だ。 pic.twitter.com/eT3JZjKLsw
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明延鉱山の閉山は1987・S62。その後は自治体が管理する公営住宅に移管して使われ続けた。最後の入居者が退去したのは2009・H21のこと。2000年代まで現役だったにしては、建具が木製のままなど、社宅が完成した昭和初期の状態がよく残っている。 pic.twitter.com/QBY7KHyJMi
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現地説明板。 pic.twitter.com/rIHCPln6L5
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長屋の隣棟間。高低差のおかげで視線がズレてプライバシーはある程度保てる。 pic.twitter.com/GRRzDAkAH0
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内部はイベント時のみ公開される。私の訪問時は #鉱山と道の芸術祭 というアートイベントの会場になっていて、1棟はアートの展示スペース、もう1棟は同イベントとは別の写真展会場として、計2棟(の一部)が公開された。 pic.twitter.com/VL2Znnkw0O
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アート展示会場となった住戸は、竣工時(昭和初期)の状態が比較的保たれていた。あえてそのようにしているのかな。まずは玄関。その左右に3畳間と台所がある。 pic.twitter.com/7FBXCaHi3Q
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玄関の隣の3畳間。平面(間取り)は3畳、6畳、4.5畳、台所、縁側、便所という構成。浴室は無く、社宅街の共同浴場を利用していた。注:後年に浴室を設置。 pic.twitter.com/5VeJ6TxGLe
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日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の構成資産などを会場に開催された #鉱山と道の芸術祭 の作品のひとつ。北星社宅に展示された中元俊介の作品。 pic.twitter.com/bFsDOdInfl
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6畳間。シンプルな釣床(つりどこ、床の間の一種で垂れ壁のみで構成)とはいえ木造長屋の社宅に床の間があるとは驚いた。 pic.twitter.com/quUA2kjzlo
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旧生野鉱山職員宿舎(兵庫県朝来市)にも床の間はあるが、あちらは上級職員用の社宅だ。これに対して明延鉱山北星社宅は一般の鉱員用。 pic.twitter.com/D6VjfFWqgA
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6畳間から4.5畳間を見る。縁側の奥に洗面と便所。 pic.twitter.com/D9enOs5ABO
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4.5畳間から6畳間を見る。家具や電化製品などは当時の生活を再現するために揃えたもの。 pic.twitter.com/hya1t2YBrh
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台所。なんと竈(かまど)が残っている! 流しも人研ぎで、水を貯めて使うタイプだ。社宅が竣工した昭和初期なら普通だが、昭和後期から平成までこれを使っていたのだろうか? 保存用に復原した? pic.twitter.com/sTA3vmLwxb
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現地で入手したリーフレットによると、社宅は電気料金が無料だったので電気炊飯器や電熱器などの電気製品が早くから普及したとのこと。ガスについては、LPガス(プロパンガス)のボンベ置き場らしきものがあったが内部は見落とした。ボンベは無いにしてもガス管の有無は確認すべきだったな。 pic.twitter.com/PKP7tLnFcv
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便所。使用不可。周囲に使用可能な便所は無いので、北星社宅を見学する際は事前に用を済ませておくこと。実は見学中に尿意を催して困ったw pic.twitter.com/Qi8dlksDyp
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公開された別の長屋では明延鉱山の現役時代の写真を展示していた。写真は常設展示で、何かのイベント時に公開しているようだ。こちらは隣接する住戸間の壁の一部を抜いて2戸を1戸に拡張している。いわゆる「ニコイチ(2戸1)」だ。 pic.twitter.com/rafg3aVipm
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ニコイチ改修住戸の台所。竈は無いがガスコンロも撤去したのか見当たらない。流しはステンレス。 pic.twitter.com/T3TJ3UFPQE
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ニコイチ改修住戸では片方の台所を浴室に改修している。内風呂があるからにはLPガスを使っていたはずだと思う。 pic.twitter.com/gKnveqXNHP
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参考資料:養父市 > 文化財パンフレット > 12、近代化産業遺産 明延鉱山の北星社宅 https://t.co/4Vf8Di9wdw 注PDF 北星社宅の木造とプレキャストコンクリート造の建築について、その歴史や平面図等が載っている。私が現地で入手したものと同じ。
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