兵庫旅行 2019年3月 追記03 朝来市生野町 後編
2019年3月の兵庫ツアーの補足、朝来市生野町の話を続ける。改めて説明すると、兵庫県中部の鉱山群とそれらを結ぶ輸送ルート、そして生野鉱山から飾磨津(しかまつ、現 姫路港)へと続く輸送ルート沿いに、産業遺産が点在する。これらをまとめたのが日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」だ。 pic.twitter.com/cJ3Kc72XsF
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
明延(あけのべ)・神子畑(みこばた)・生野(いくの)の各鉱山を結んだルートを「鉱石の道」、生野鉱山から飾磨津へのルートを「銀の馬車道」と呼ぶ。両ルートの接点が生野鉱山。今回の旅行で私が主に見て回ったのはこの日本遺産の構成資産群である。写真は姫路駅にある全体像を表現した模型。 pic.twitter.com/LINp8q2NxM
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
「銀の馬車道」の正式名称は「生野鉱山寮馬車道」。生野鉱山〜飾磨津の約49kmを結ぶ日本初の高速産業道路で1876(明治9)年に完成した。フランス人技師の指導を受けた当時最新の舗装道路だった。名前の通り、馬車で物資や機材等を運んだ。写真は道の駅「銀の馬車道・神河」にある模型。 pic.twitter.com/PwdU1H6jKv
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
もっとも、当時の遺構が残るのは兵庫県神河町のごく一部で、大部分は国道や県道等に転用されており、見た目は普通のアスファルト道路に過ぎない。生野町の鍛冶屋町通りというこの道路も、かつての「銀の馬車道」だ。 pic.twitter.com/wRQU6KgdhW
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
さて、鍛冶屋町通り沿いの家屋の間に細い隙間がある。「ホントにここを通っていいの?」とやや不安な気持ちで抜けると… pic.twitter.com/q9aPLhxqjX
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川沿いの廃線跡に出る。生野鉱山本部と生野駅を結ぶ鉄道の跡だ。観光パンフ等には「トロッコ道」と記載。完成は1920(大正9)年。そして生野駅から先は播但(ばんたん)鉄道(現 播但線)で飾磨津まで運ばれた。1895(明治28)年の播但鉄道 飾磨~生野の開通により、馬車道は役目を終える。 pic.twitter.com/D81aM0jkpV
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レールと枕木は近年の観光整備で設置されたもの。実測していないが調べたところ軌間は500mm。ナローゲージの中でもかなり狭い方だ。トロリー式の電気機関車が牽引していたようだが、詳細は分からない。 pic.twitter.com/uEoUPsHIq0
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
山の谷間の鉱山町。軌道ギリギリに建ち並ぶ民家。実際には家屋は廃線後に建ったのかもしれないけど、どことなく『天空の城ラピュタ』で描かれた鉱山町を思わせる景観だ。 pic.twitter.com/mpzFfo4TNt
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
既存の集落内に鉄道は通せないので、険しい川沿いに石を積んで軌道を建設したことが分かる。地形の都合からか、一部はアーチになっている。 pic.twitter.com/B3j2lh32F8
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最初に出た地点は生野駅側。そこから鉱山本部に向けて歩き、前回紹介した旧浅田邸の下を通過した辺りで整備されたルートは終わる。この先も廃線跡は残っているようだ。 pic.twitter.com/B8Fp6dSlRJ
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トロッコ道に展示された #鉱山と道の芸術祭 におけるワラビモチ愛好会フィリップの作品。これを使って何かイベントを行ったらしい(ワラビモチを作る?)。なので、単体で見てもよく分からない。 #ヤマ芸 pic.twitter.com/jKhAVBiBdn
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それと、トロッコ道の手すりに付いていた札も #鉱山と道の芸術祭 の一環だったようだ。たぶんそうだろうなと思いつつ、札のメッセージを読む時間的余裕はなかった。申し訳ない。 pic.twitter.com/WPMXr9thg3
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
また、トロッコ道付近に架かっていたこの水道橋にも魅了された。 pic.twitter.com/fJG4YG3m7J
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コンクリート製のコの字型水路から水道管に切り替わって、橋梁自体は現役だ。 pic.twitter.com/ppFp0jCmgN
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竣工年は分からないが、現地説明板に載っている1936(昭和11)年頃の写真にこの水道橋が写っていた。 pic.twitter.com/MURC88zoJT
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今一度、生野町の地図をご覧いただきたい。西の口銀谷(くちがなや)と東の奥銀谷(おくがなや)の2地区に分かれ、その中間に旧 生野鉱山本部 / 現 三菱マテリアル生野事業所が位置する。生野駅は口銀谷地区に、鉱山の坑口=金香瀬(かながせ)坑は奥銀谷の東にある。 pic.twitter.com/rxQJ6KoDHB
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先ほど紹介した廃線跡は鉱山本部〜生野駅で1920(大正9)年完成。それ以前に金香瀬坑から鉱山本部まで軌道が設置されていた。奥銀谷地区の川沿いにその廃線跡が残っている。前掲地図の赤い点線は金香瀬坑〜鉱山本部〜生野駅の全区間を図示。なお現在の生野駅は少し移動している。 pic.twitter.com/2TBDnf9uwL
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下記リンク先にて、金香瀬坑~鉱山本部の軌道の建設経緯が述べられている。
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奥銀谷地域自治協議会 > かながせ文庫 > トロッコ道 https://t.co/km1wsljNQl
この記事によると同区間は1871(明治4)年と1913(大正2)年の2期に分けて建設された。電化は1919(大正8)年、それ以前の鉱石輸送はなんと人力だったらしい。電気機関車は米国ウエスチングハウス社製。ただ、これが鉱山本部〜生野駅にも使用されたかどうかは分からない。 pic.twitter.com/QmnGHwOKkN
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廃線跡についてはここまで。あとは、それ以外で現地ツイートできなかった小ネタを少し。まず、奥銀谷地区を散策する際は、三菱マテリアル生野事業所の東にある市川新町河川公園に駐車するとよい。公衆便所あり。 Googleマップ https://t.co/72e5dU4CU7 pic.twitter.com/ohqbHxooMk
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公園から見える廃滓堆積場の巨大な法面。久宝谷(きゅうほうたに)ダムと呼ばれている。私の写真では伝わりにくいが、息を呑むような迫力がある。炭鉱のボタ山 / ズリ山に相当するもの。 pic.twitter.com/MbSa6DOO4T
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
公園から三菱マテリアル生野事業所に向かって歩くと、途中にカラミ石の擁壁がある。パンフレット等にはカラミ石塀と書かれているが、正確には擁壁。 pic.twitter.com/4lHUCPkvu8
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
三菱マテリアル生野事業所の敷地内に明治・大正期の建築物が残っているものの、現役の工場なので立ち入り禁止。入り口から覗いたくらいでは大した成果が得られないし、警備員に注意されるおそれもあるのでパスした。道路沿いの建築の一部も古いようだが…
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
三菱マテリアル生野事業所に現存する近代建築の写真が下記リンク先に載っている。ブログ主が見学会に参加して撮影。近畿・中国地方についてはこのブログが実に頼りになる。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月6日
近代建築Watch > 生野鉱山関連の産業遺産2 https://t.co/mtQy41kXAb
兵庫県朝来市生野町の続き。口銀谷地区の東端に、生野鉱山の守り神である山神宮(山神社)がある。1891(明治24)年、口銀谷と奥銀谷にあった神社を合祀して現在の神社が建てられたとのこと。 pic.twitter.com/ELwMPDzO7e
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日
鳥居の文字。「製鑛課職工中」「明治四拾三稔四月吉日」 pic.twitter.com/F5uJalm5OT
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日
「奉納 工作係職工中」「太盛出鑛課職夫中」。このように生野鉱山の現役時代に各部署が神社に奉納したことを記す文字が随所に見られる。 pic.twitter.com/KmQsY2P519
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日
現在の後継企業である三菱マテリアルも寄進している。 pic.twitter.com/SvU3AGS7Ma
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日
山神宮に通じる橋の近くにある「生野鉱業所消防自動車庫」。もちろん、どう見ても現役ではない。 pic.twitter.com/Xibhj4aDiR
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日
三菱のマークではないね。いちおう三菱を基にしたように見えるが、何か違う気もする。 pic.twitter.com/mZuJcW7cvX
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月11日