兵庫旅行 2019年3月 追記02 朝来市生野町 前編
2019年3月の兵庫ツアーの補足、ここからは朝来市生野(いくの)町編を送る。生野は古くから銀などを産出する鉱山町で栄えたところだ。開坑は807(大同2)年と伝えられるが、明確な史料はない。文献で確認できるのは1500年代から。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年4月4日
Googleマップ https://t.co/22YgtEskR5
生野町の地図。街並みは市川という川沿いの谷間に展開し、西側の口銀谷(くちがなや)地区と東側の奥銀谷(おくがなや)地区から成る。鉱山は奥銀谷のさらに東に位置する。鉱山町としての見所は口銀谷の方に多く残り、観光整備されている。 pic.twitter.com/GLWO6tHA8Q
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口銀谷地区のポケットパーク。観光客はここの駐車場に駐めて歩くとよい。公園内の井戸やベンチにはカラミ石が使われている。 pic.twitter.com/DGpJ4aCvcm
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カラミとは鉱滓(スラグ)のこと。カラミ石は金属の精錬過程で生じた廃棄物をブロック状に固めた建築資材で、生野で多用された。鈍い光沢を放ち、重厚感がある。 pic.twitter.com/5G6LOddYNY
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カラミ石の塀。 pic.twitter.com/UXRp4yFVYU
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生野瓦。赤い色合いが特徴で、これも生野の特徴的な建築資材。 pic.twitter.com/HTGdSMDm01
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ポケットパークの向かいにある生野まちづくり工房 井筒屋 / 旧吉川邸。江戸時代の郷宿(公的な宿)。母屋は1832(天保3)年の建築。ただ、前掲の説明文の通り、母屋の瓦は近年の複製とのこと。 pic.twitter.com/adiGBN0QYp
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井筒屋 / 旧吉川邸の内部。 pic.twitter.com/0cgpZxEvH4
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井筒屋 / 旧吉川邸の向かいにある旧浅田邸。二軒合わせて「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」を構成する。浅田家は江戸時代から続く地役人で、この建築は浅田養蔵の邸宅として1932(昭和7)年に建てられた。 pic.twitter.com/kFLhZLsU1R
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浅田養蔵の父、浅田貞次郎の胸像。戸長(町長)から県議、国会議員を歴任。生野と飾磨(姫路市)を結ぶ播但鉄道(現 播但線)の建設に関わるなど、生野の発展に貢献した。 pic.twitter.com/czvLHoLAC6
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旧浅田邸 1階。 pic.twitter.com/mV6CgDedb2
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旧浅田邸 2階。床に広がっているのは #鉱山と道の芸術祭 における渡邉敬介の作品。 #ヤマ芸 pic.twitter.com/1pR69m2zcD
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旧浅田邸に付属する洋館。 pic.twitter.com/KGlDzac3ER
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旧生野クラブ。大山師の邸宅として1886(明治19)年に建築。1956(昭和31)年に三菱が買い上げて保養施設・迎賓館として活用後、SUMCO(三菱と住友の共同出資による半導体用シリコンウェーハのメーカー)の管理を経て朝来市に寄贈され、現在活用策を検討中。 pic.twitter.com/5aukM8FjG7
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この旧生野クラブも #鉱山と道の芸術祭 の会場のひとつで、片岡健助の作品が室内に展示されていたはずだが、施錠されていて入れなかった。 #ヤマ芸 pic.twitter.com/YmuyvKZHcO
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こちらは現在の生野クラブ。ただし閉鎖中の模様。明治初期に官営化された生野鉱山は三菱に払い下げられた。当時の鉱山本部が現在の三菱マテリアル生野事業所である。 pic.twitter.com/QI0yR7bKV1
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旧生野鉱山職員宿舎。明治初期の官営時代から三菱に払い下げ直後に建てられた5棟が現存。修復の上、公開されている。特に建築クラスタならここの見学に相当な時間がかかるはず。生野の街並みと鉱山を1日で見るのはかなり厳しい。結局、私は生野に2日間を要した。 pic.twitter.com/DBeawiA4RA
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度重なる増改築が施された各棟を、その変遷も考慮して明治・大正・昭和それぞれの時代の状態に修復している。これは官営時代の1876(明治9)年に建設された最初の状態に復原した甲8号。建具は障子と雨戸のみで、ガラス戸は無し。 pic.twitter.com/kmwOy4tGsy
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甲8号の内部。間取りは和室8・6・3畳他。これらの官舎 / 社宅は、生野鉱山に赴任した官吏・技術者の住宅だった。 pic.twitter.com/M4YYcF3pSa
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