兵庫旅行 2019年3月 追記01 姫路市編
先日の兵庫ツアーで、現地ツイートから漏れた事柄を少し追記しておく。まずは改めて姫路市のビルについて。これらは姫路船場ビル群と呼ばれている。写真手前はビル群の東端に位置する船場東ビルだ。 pic.twitter.com/7oVXxHB1ZR
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
Googleマップ3Dモードのキャプチャに付記。国道2号沿い、中間に公園を挟みつつ東西方向に7棟のビルが壁のように連なる。Googleマップ上の測定で総延長約650m。西(手前)から東へ順次建設されており、西端の琴丘ビルの竣工年は1965・S40、前述の船場東ビルが1972・S47である。 pic.twitter.com/wauRkUS1bN
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
西端の琴丘ビル(1965・S40)から東方向を見る。各ビルとも1〜2階がテナント、上階は住宅という構成で、2階には外廊下を有する。ただし、最初の琴丘ビルの時期はまだルールが確立していなかったのか、この外廊下が無い。 pic.twitter.com/HpESi7AHsM
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
琴丘ビルの表側(南立面)。建具のスチールサッシュや外壁のタイルなどはおそらく竣工当時のままだろう。余談だがスズキの軽が3台並んでいた(と思ったら実は微妙に違う)。 pic.twitter.com/HclElU84OF
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
左はハスラーのOEMであるマツダのフレア クロスオーバー。そしてスズキのアルト(現行型 8代目)とツイン。 pic.twitter.com/ejgPCSnsvV
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
話を戻して琴丘ビルの裏側(北立面)。西から数えて5棟までは4階建てで、裏側は住宅が入る3〜4階がセットバックしている(一部例外あり)。 pic.twitter.com/PuUZUF1Xgc
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
2番目に完成した船丘ビルの外壁に、姫路モノレールを推進したことで有名な当時の石見元秀・姫路市長による碑文が設置されている(定礎は別にある)。文面から姫路船場ビル群の方にもかなり強い思い入れがあったことがうかがえる。 pic.twitter.com/RzOwWoCjdZ
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
末期に完成した東側の2棟は7階建て。1〜2階はテナントで2階に外廊下ありというルールは同じだが、3階は駐車場、4〜7階が住宅と規模が大きくなる。写真は船場東ビルの裏側。車はスロープで3階に上がる。貫通部は建物内の車路で、公道ではない。 pic.twitter.com/6IdwPud7bf
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
船場東ビルの2階通路。大通りに面した1階はともかく、2階は閑散とした印象が否めない。 pic.twitter.com/2braRw7imG
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
船場ビル群とモノレールとの関係について。モノレールは既設路線から分岐して、この船場川に沿って北上する計画だったらしい。その場合、船場東ビルの側面で駅と接続する形になる。つまり、モノレールがビル群と併走して一体的な構造になるわけではなかったようだ。 pic.twitter.com/vJ9Ne7dUXR
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
参考サイト:団地小説短編集を歩く > 番外編 6 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(後編)ついでに復活計画 https://t.co/V4kVun84dw
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
姫路船場ビル群の話はこれくらいにとどめておく。詳しく述べると1ヶ月以上はこの件にかかりきりになってしまう。とにかく興味深い建築なので、建築・団地・都市計画クラスタはぜひ実際にご覧いただきたい。 pic.twitter.com/uxHXqt9Zjm
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
もう少し続く。姫路船場ビル群の東端にある船場東ビルの隣には、前述したように船場川が流れている。この川に架かる国道2号の橋を白鷺橋(はくろばし)という。周知の通り、姫路城の別名は白鷺城である。 pic.twitter.com/JAHj0CGcl5
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
白鷺橋の竣工は1933・S8で、国道2号のこの区間も同時に開通した。姫路城の中堀を埋め立てて国道を通している。親柱・欄干の黒ずみは戦時中の空襲の痕跡とのこと。背後の石垣は姫路城 埋門(うずめもん)の櫓のもの。 pic.twitter.com/u0zRw4N1Ut
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
また、かつて国道2号と姫路城の土塁や船場ビル群との間には木造家屋が並んでおり、これを撤去して道路を拡幅する事業が1974・S49〜1991・H3にかけて行われた。当然、橋も拡幅されたが石造の親柱・欄干は再利用されている。 pic.twitter.com/lRkMvsHo6W
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
白鷺橋のたもとの姫路城側に、国道2号拡幅事業の記念碑がある。 pic.twitter.com/YHBIKHCZhh
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
姫路城 埋門跡。歩道に十分な幅員を確保して遺構を保存している。 pic.twitter.com/gG6vKqa6AD
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
姫路城 埋門(現地説明板より)。左を流れるのが船場川で、右が公共用地確保や国道2号建設のために埋め立てられた中堀だ。 pic.twitter.com/C9jNfmRlnG
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
左から船場ビル群、白鷺橋、姫路城 埋門跡、そして国道2号。近世〜近代〜現代に至る姫路市の都市計画の変遷を、この景観から読み取ることができる。 pic.twitter.com/1TzB4Q21UQ
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
参考サイト:姫路市幹部職員ブログ > 11の門 その4~現在の国道2号は中堀跡?~ https://t.co/KFNZBhVmFz ←「中堀埋立記念碑」もあるらしいが見落としてしまった。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
あとは船場ビル群の近くで見つけた小ネタを少々。 #ダンメン pic.twitter.com/48pE2wFYJy
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
二軒長屋で洋館付きは珍しいのではないか。兵庫県姫路市西新町。 pic.twitter.com/Te6QaYjtGd
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2019年3月30日
【関連記事】