旧三菱合資会社唐津支店03 展示物
旧三菱合資会社唐津支店の続き。ここからは展示物について。現在この建築は唐津市歴史民俗資料館になっているが、老朽化のため長年にわたり休館が続いていて、内部には展示物が残っている。年に一度の一般公開時にこれも見ることができる。 #佐賀 #唐津 #近代建築 #ゾンビランドサガ pic.twitter.com/LFzwjlisiA
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月23日
歴史民俗資料館というものの、この建築がもともと炭鉱の事務所だったことを踏まえてか、展示内容は炭鉱を軸とする唐津の近代史が中心である(施設名はそのままで展示物の更新があったのかも)。以下、展示物の一部を紹介していく。まずは旧三菱合資会社唐津支店の説明パネルから。 pic.twitter.com/pjIMqprvQj
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旧三菱合資唐津支店には顧問として関わった唐津藩出身の建築家 曽禰達蔵について(具体的な関与は不明)。彼が直接設計した唐津における建築としては唐津農林事務所(現存せず)があるとのこと。 pic.twitter.com/Ggl53ieHEX
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なお、LIXIL(リクシル)の情報誌『LIXIL eye』No.16 https://t.co/8RgIjPJWEx には、旧三菱合資唐津支店の設計を担当した三菱の建築家は保岡勝也だと載っている。また、曽禰達蔵は唐津市公会堂(現存せず)も設計したとのこと。
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旧三菱合資唐津支店の立面図。右上の「長崎支店唐津出張所」は竣工時の名称である。三菱の押印があるがピンボケで正確な会社名は読み取れず(アップで撮っておけばよかった)。この図面が原図(の青焼き)なのか後年の作図かは分からない。 pic.twitter.com/WDFRvvpbo9
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平面図と断面図。平面図の室名はピンボケで読み取れず(こういう失敗があるから最低2枚は撮らないと)。 pic.twitter.com/0f3dp58F1j
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三菱合資会社唐津支店の古写真、その1。明治末〜大正。 pic.twitter.com/TuSKY6pmJU
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三菱合資会社唐津支店の古写真、その2。昭和初期。現在とは色が異なる? pic.twitter.com/wngyRCVGjN
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三菱合資会社唐津支店の古写真、その3。昭和初期における唐津西港の景観。 pic.twitter.com/Bh3xxELKgx
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石炭の貯炭場(手前の黒い塊)と積み出し港があった沖合の大島から唐津西港方面を撮った写真。昭和初期。かつては西唐津駅(旧名は妙見駅)から大島まで貨物支線が延びていた。この写真は大島が埋め立てで地続きになる前、長い鉄道橋が架かっていた頃のもの。 pic.twitter.com/Dn8QUp2p2M
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大島の貯炭場。明治末期。当時、運搬船への石炭積み込み作業はゴンゾウと呼ばれた労働者達の人力によって行われていた。相当な重労働。 pic.twitter.com/IVw2TpsMrv
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左:大島の貯炭場。撮影時期未確認。右:同じ場所の現況。砂利置き場になっている。 pic.twitter.com/JDyDJbNbQI
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唐津の炭鉱史のパネル。著作権上、全ては載せられないので最初の1枚だけ。江戸時代の唐津藩の採炭事業から説明は始まる。一般公開時に読んでいる余裕はないだろうから、興味がある人はとりあえず全部撮って後で読むといい。 pic.twitter.com/baZMhhpzRM
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唐津炭田の炭鉱のひとつ、芳谷炭鉱の古写真。明治末。キャプションに載っている3名のうち高取伊好(たかとりこれよし)は佐賀出身の炭鉱経営者。唐津市内に旧高取邸が現存、公開されている。同炭鉱は1911・M44に三菱が買収した。 pic.twitter.com/86EqJE2iQG
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芳谷炭鉱 第3坑。大正末。キャプションの通り、この坑口は現存する。 pic.twitter.com/Wo1MEkqtkq
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芳谷炭鉱 第3坑の坑口の現況。詳しくは私のブログにて https://t.co/yl24Q5Uw53 pic.twitter.com/uleNE5vNfI
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炭鉱で使用した道具類。ヘルメット、ランプ、採炭ドリル。 pic.twitter.com/3l1Vu3oWB3
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手前:防爆型電話機。右奥:バラスラ(坑内で石炭を運ぶカゴ、人力で曳く)。左奥:スラバコ(同じ用途の木箱)。 pic.twitter.com/tQTj8QvG6i
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補足すると、採炭現場では2人1組となって1人がツルハシで採掘し、もう片方が石炭をスラに積んでトロッコまで曳いて運んだ。この作業は夫婦で行うことが多く、掘る方(夫)を先山(さきやま)、運ぶ方(妻)を後山(あとやま)と呼んだ。
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旧三菱合資唐津支店の2階の部屋の一部は収蔵庫になっていて、炭鉱関係以外の農具や民具が保管されている。ということは、ある時期に展示内容の更新がなされて炭鉱中心に変わったのかもしれない。 pic.twitter.com/MvxIRe28id
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さて、この収蔵庫を探っているとこんなものを見つけてしまったw 作業着をまとった金髪美女のマネキンである。違和感のあまり笑いがこみ上げるw こういうギャップに萌える人がいるかもしれないが、ちょっと私には高度過ぎるね。 pic.twitter.com/5IlC1kVZtG
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最初は農家の娘かと思ったが、カゴに付いていたキャプションから前述した「後山(あとやま)」の展示だと分かった。今まで訪れた炭鉱資料館では、この種の展示は当然、日本人女性のマネキンを使っていたものだ。金髪美女の炭鉱労働者なんて初めて見たよ。 pic.twitter.com/fHNia3Nze1
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前述した「スラ」が曳いて使うのに対して「カライテボ」は背負って使う。下記を参照。
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田川市 ユネスコ世界の記憶「山本作兵衛コレクション」図録番号377 タイトル:カライテボ https://t.co/dOMgFykD6I pic.twitter.com/NDSuR2SXfA
手首が無いのがホラーっぽい。いやしかし「ゾンビランドサガ」の舞台であることを考えれば、ミスマッチも含めてこれはこれでアリかもしれない? pic.twitter.com/zYTqQAfLm8
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昨夜のマネキンの話の続き。鉱山展示施設のマネキンといえば、生野銀山(兵庫県朝来市)の「GINZAN BOYZ(ギンザン ボーイズ)」という、マネキンの顔が “濃い” ことのミスマッチをPRに利用した先例があるね。ただ、この種の仕掛けはセンスが必要。公式サイト https://t.co/Wo75StzVL9
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月24日
参考までに、リアルな採炭現場のマネキン展示の例を挙げておこう。これは田川市石炭・歴史博物館(福岡県田川市)のもの。左が石炭を掘る先山、右が石炭をカライテボに入れて運ぶ後山。坑道は高さがあまりないので横たわったり前屈みの姿勢になる。 pic.twitter.com/lJ4N8qDxv0
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月24日