旧三菱合資会社唐津支店01 外部と歴史
佐賀県唐津市の西唐津港に明治時代の木造の西洋建築が現存している。1898・M31年に竣工した旧三菱合資会社唐津支店本館だ。設計は三菱丸の内建設事務所、施工は三菱建築事務所という、三菱が自分の財閥内で設計・施工した建築物である。 pic.twitter.com/Wf9IGv2tC8
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
現在、旧三菱合資唐津支店は唐津市の歴史民俗資料館となっている。もっとも老朽化のため長年にわたり休館状態で、自分の過去の写真を見返すと2005・H17の時点で既に休館中だった。ただし、同市は毎年11月に1日だけ公開していて2018年も11/25(日)に公開される。市の告知 https://t.co/e3R8TpqXGs pic.twitter.com/bPemZ4mbSU
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
というわけで、これから2016年11月の一般公開で撮った写真をアップしていく。そもそもなぜ明治時代に佐賀県の地方都市に三菱の事務所が置かれたのかというと、かつて唐津市の内陸部は唐津炭田という炭鉱地帯で、三菱はそこの有力な炭鉱経営者、西唐津港は石炭積み出し港だった。つまり炭鉱の事務所。 pic.twitter.com/8W0AIeTWuN
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
戦後は唐津海上保安部の庁舎に使われた後、唐津市歴史民俗資料館となったようだ(両者の間に別の用途があったかどうかは未確認)。九州の福岡・佐賀・長崎各県は炭鉱地帯だったが、現存する炭鉱の事務所は極めて少ない。建築史のみならず産業遺産としても旧三菱合資唐津支店は貴重な建築である。 pic.twitter.com/EanBcnSsYD
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
旧三菱合資唐津支店は木造2階建て、入母屋、ハーフティンバー。陸側には大破風、海側の1・2階にはベランダが付く。このベランダは東南アジアなどのコロニアル様式(ベランダ コロニアル)に見られる特徴だ。 pic.twitter.com/9g034XqzhZ
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
前述したとおり設計は三菱丸の内建設事務所(現在の三菱地所設計)、担当は保岡勝也、当時の同事務所の建築顧問は曽禰達蔵。なお、曽禰は唐津藩出身(正確には江戸の唐津藩邸の生まれ)である。曽禰が唐津支店の設計にどの程度関与したかは不明。写真は旧唐津銀行本店にある曽禰の胸像。 pic.twitter.com/OnRRaxqR3l
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
曽禰達蔵は同郷の辰野金吾(手前の胸像)と共に維新後は唐津藩の学校「耐恒寮」で学び、工部大学校造家学科(現在の東大建築学科)に進学した。つまり唐津市は日本人建築家第一世代の2人の大家を輩出しているのだ。付け加えると村野藤吾も唐津出身。 pic.twitter.com/ep8OugqPIy
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
旧唐津銀行本店(写真)も辰野の関与は顧問にとどまるが、観光案内所などに活用されている。長年閉鎖状態の旧三菱合資唐津支店についても、郷土の偉人ゆかりの建築という歴史から、唐津市はいずれ何らかの手を打つはずだ。年1回の公開は、この建築を見捨てないという意思表明でもあるのだろう。 pic.twitter.com/2U7V72ljJb
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月17日
旧三菱合資会社唐津支店の続き。2016年の見学時に立ち会いの市役所職員にこの建築の取り扱いについて尋ねたところ、移築するかどうかを含めて今後のことは未定とのことだった。つまり、もし移築するなら現在位置での改修は無駄になるが、その方針も決まらないので何もできない、ということだろう。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
場所はここ(Googleマップ) https://t.co/elA0Dsw6GX 港湾地区なので工場や倉庫が並ぶが、この建築へのアクセス道路の周辺は普通の住宅街。今の場所で改修して観光客が大勢来たら住民に迷惑がかかってしまう。 pic.twitter.com/xqBqSwCybf
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
さらに、旧三菱合資唐津支店の海側に港湾地区へのバイパス道路の橋が架かり眺望が損なわれた。ここは石炭積み出し港に建つ炭鉱事務所という歴史を示す場所ではあるが、こういう事情から私は移築した方がいいかなと思う。 pic.twitter.com/OzwoAG750l
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
個人的な意見を述べると、移築するなら旧唐津銀行本店の駐車場(写真右手)がベストではないか(駐車場は近隣に移す)。唐津出身の辰野金吾と曽禰達蔵、直接設計はしていないものの2人と縁がある建築が並んでその点を宣伝すれば、有力な観光名所になる。 pic.twitter.com/Qe3p2Ytfll
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
現在、旧唐津銀行本店は「肥前さが幕末維新博覧会」のサテライト会場になっていて、辰野と曽禰の業績、唐津の炭鉱史、旧三菱合資唐津支店の模型などが展示されている。11/25の一般公開に行かれる方はこちらもお見逃し無く。 pic.twitter.com/H6eNEk3EAG
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
外部の写真を少し追加しておく。玄関の庇。 pic.twitter.com/EhzNKb20jT
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
現地は駐車場あり。駐車台数は少ないが見学者も少ないのでたぶん止められる。 pic.twitter.com/24UY8zO8yj
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
付属建屋その1、便所。鉄道で行くなら最寄り駅は西唐津駅。多少歩くことになるが、近くの唐津プレシジョン / 旧唐津鐵工所の産業遺産も見てほしい。同社は唐津炭田の炭鉱のひとつ、芳谷炭鉱の機械製造部門を源流とする。市原さんの産業遺産リスト唐津編を参照のこと https://t.co/s72PEwHyjk pic.twitter.com/oLQ7YvqAxw
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
付属建屋その2、レンガ造の倉庫(たぶん書庫)。 pic.twitter.com/DnxbKQW3zx
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
LIXIL(リクシル)の情報誌『LIXIL eye』16号(2018年6月)の特集「建築のまちを旅する|04 唐津・壱岐」で、旧唐津銀行本店や旧三菱合資唐津支店など唐津の近現代建築が紹介されている。こちらもご一読を。 https://t.co/8RgIjPJWEx
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月18日
旧三菱合資会社唐津支店の続き。海側にベランダが設けられたのは、単なるコロニアル様式の踏襲だけでなく、海側も正面(ファサード)であるという意味や、石炭積み出し港を見渡す役割がある。かつては岸壁から直接建物にアクセスできた。 pic.twitter.com/fCn5sAqkJQ
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
ベランダ1階。 pic.twitter.com/yzwVVX3XNp
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
ベランダ2階は確か立ち入り禁止だったので部屋の窓から見たところ。背景は沖合に浮かぶ大島。港湾整備による架橋 → 埋め立てで地続きに。大島に石炭の貯炭場と積み込み場があった。目の前に新たな橋が架かって海との関係が損なわれたのは惜しい。この橋の必要性は理解できるが。 pic.twitter.com/F7QUgqwYLy
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
旧唐津銀行本店に展示されている旧三菱合資会社唐津支店の模型。海側の立面と岸壁。 pic.twitter.com/PDIYUkxUGV
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
石積みの護岸は明治時代のもの。一般公開時に立ち会った唐津市の職員談。 pic.twitter.com/Pnh4q2xmoO
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
ボタ(石炭採掘時に出る低品位の捨て石)を詰めて補修した部分。 pic.twitter.com/R1FRSgwZTA
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日
西唐津港における旧三菱合資唐津支店、貯炭場、大島の位置関係。西唐津駅から貯炭場に貨物支線が延びていた。廃線跡は道路や空き地になっていて、おおむね読み取ることができる。私は未踏破。 pic.twitter.com/DJG4KiRR5m
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月22日