佐賀のクリーク03 歴史
佐賀市のクリークの歴史を簡単に述べておこう。同市が位置する佐賀平野は福岡県側の筑後平野と連続する九州最大の平野で、両者を合わせて筑紫(つくし)平野と呼ばれ、有明海に面している。土砂が堆積して拡大してきた沖積平野であり、人々が長年にわたり干潟を干拓して陸地が広がった。 pic.twitter.com/Jqi7MUwS9T
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年11月11日
写真は佐賀県庁の展望室から見た佐賀市の街並み。向こうは有明海。完全に平坦な地形であることが分かる。 pic.twitter.com/DBjXIFO5Es
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とりわけ佐賀平野は高低差が小さい上にあまり大きな河川が存在しないため(嘉瀬川と六角川くらい)、江戸時代から水の確保に苦労してきた。この環境を改善したのが佐賀藩の家臣 成富兵庫茂安
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(なりどみひょうごしげやす)だ。
成富兵庫茂安による治水事業は多岐にわたるのでクリーク関係に話を絞る。佐賀平野の主要河川である嘉瀬川から分岐した多布施川が佐賀城下に向けて流れており、成富兵庫茂安の指導でその分岐点に石井樋(いしいび)という取水施設が元和年間(1615~1624)に造られた。 pic.twitter.com/krpUu5DLHu
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石井樋の複雑な形状は、水の勢いを抑えて本流に含まれる砂を濾過する機能を有する。こうして澄んだ水を多布施川を通して佐賀城下に取り込んだ。そしてクリークには農業用水・生活用水の確保、洪水対策、水運、有明海の大きな干満差を利用した淡水取水といった役割がある。 pic.twitter.com/pMT2SlwOxT
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佐賀平野における嘉瀬川、石井樋、佐賀城、有明海の位置関係。 pic.twitter.com/id7iYrcrSp
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なお、すべてのクリークが完全な人工物とは限らない。自然の中小河川を利用したものと、人工的に掘削したものがある。また、成富兵庫茂安の登場以前からクリークは存在しており、彼は既存の非効率的なクリーク網を再整備したようだ。もちろん新設もあるだろう。 pic.twitter.com/bRYZffTORV
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その他、様々な事業を通して、成富兵庫茂安は佐賀藩全体の治水・利水システムを江戸時代に構築した。しかも現在も機能している(壊されたものもある)。彼は佐賀県以外では知名度が低いが(かくいう私も佐賀県立博物館の「ボクの土木展」で知った)、佐賀県民には「治水の神様」と尊敬されている。
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ウィキペディア「筑紫平野」の「堀(クリーク)」の部分によると
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“「クリーク」の呼称は戦中(昭和初期)以降に使われるようになった外来語で、従前は専ら「堀」(ほり、または訛って ほい)と呼んだ」”
とのこと。 https://t.co/922HFF9hO5
佐賀市のクリークの続き。佐賀市施行時(1889・M22)における市内中心部のクリークと道路の地図。中央は佐賀城址。クリークの保全・活用を行う市民団体「さがクリークネット」のレクチャー画面から。 pic.twitter.com/iMJoEYDr1y
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そして現在の水路網。130年前からおおむね変わっていないことが分かる。クリークの総延長は2000kmにも及ぶ。 pic.twitter.com/O0Aiqkm62w
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前述の地図とほぼ同じ範囲をGoogleマップの写真モードで見る。ちょっと見難いが縦横に張り巡らされたクリークが分かるだろうか。 pic.twitter.com/IDpjTpOFXl
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佐賀城址の北西部を地図モードで見る。中央をジグザグに流れるやや幅広い水路は多布施川。嘉瀬川から分岐して佐賀城のお堀に流れるこの川が佐賀市のクリークの水源となっている。 pic.twitter.com/VP4PNnaeAk
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クリークの保全について。昔は多布施川を堰き止めて溜まった泥を人力で浚渫し(「ごみくい」という)、その泥は肥料に使った。戦後は生活排水が流入して水質が悪化したものの、清掃作業と下水道の普及で改善した。 pic.twitter.com/MDftEgtjc9
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昔ほど大がかりではないが、今もクリーク保全活動の一環として「ごみくい」は行われている。それを伝える佐賀新聞の記事(2018/11/14)。
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北川副「ごみくい」 100人が伝統農法体験 https://t.co/yuIn5nfFms