静岡市に現存する戦後最初期の団地
防火壁として計画された公営住宅。
— 退役 (@Schlieffen_Plan) 2018年10月13日
本来は30棟できて中心街を外側から囲む構想だったが、後に成立した耐火建築促進法により呉服町周辺に民間資金で防火建築帯が出来たこともあり、うやむやに。
一棟目は1948年の竣工。
戦災復興院 → 建設院 によって設計された都営高輪住宅の図面を流用したもの。 pic.twitter.com/wcqldKnXVD
>RT 「都営高輪住宅の図面を流用した」団地、つまり最初の標準設計である公営住宅48型が現存するとのツイートを読み、場所を特定した。静岡市葵区にある静岡市営 羽衣第一アパートなどの4棟だ。Googleマップ https://t.co/R65E79BoLI #danchi
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
直線上の配置は防火建築帯を意図したもの。48型が4棟も現役とはすごい! 全て静岡市営住宅で左奥から新通アパート、羽衣第2アパート、羽衣第1アパート、駒形アパート。ストビューを見る限り状態は良好。鉄骨造のバルコニーは後年の増築だろう。 pic.twitter.com/EBv3pEBsTa
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
ご教示ありがとうございます。やはり解体予定ですか。https://t.co/qbcaBgcM0A
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
バルコニーは平成になって暫くしてから付けられました。
— 退役 (@Schlieffen_Plan) 2018年10月13日
建設の経緯については下記の論文を参照のこと。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
「静岡市の戦災復興と都市不燃化」(田中傑、京都大学 防災研究所) https://t.co/f7nDXXPyll
「静岡市市営住宅整備計画」(静岡市都市局建築部住宅政策課)の16ページ以降に市営住宅一覧表が載っている。新通・羽衣・駒形アパート以外にも昭和20年代モノがある。 https://t.co/kzkF6BLQPy (注PDF)
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
建設年度について「静岡市市営住宅整備計画」は新通・羽衣・駒形とも1949・S24年度と記載しているのに対し、「静岡市の戦災復興と都市不燃化」では羽衣は1948・S23年度としている。どちらが正しいかは分からない。「年」と「年度」で情報が混乱したか?
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
公営住宅48型は戦後の団地の原点というべき存在だ。詳しくは私が「建築マップ」に発表した記事を参照されたい。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
夕陽ヶ丘住宅(大阪市、現存せず) https://t.co/9c5OihspQM
この記事の2ページのとおり、私が把握している48型の現存例は平和アパート(広島市、解体予定)、清和園住宅(山口県下関市)、魚の町団地(長崎市)。また未掲載だが店屋町ビル(福岡市)も48型(の変形)。これに静岡市の団地が加わったことになる。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
訂正します、
— 退役 (@Schlieffen_Plan) 2018年10月13日
1棟目の羽衣第一は1948年9月着工、1949年4月竣工。同じ年度に羽衣第二も竣工、
残りは2棟は次年度です。
羽衣第一、第二は12坪で高輪住宅と同じですが、のこりはやや大きめなようで。
静岡市の資料や論文とも竣工年がやや食い違い、情報が錯綜していますね。それと改めてGoogleマップの画像を見ると確かに羽衣第1・2と新通・駒形アパートでは外観が異なっていて、後者2つは48型ではないと思われます。これは私の観察不足でした。
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2018年10月13日
蒲郡の防火建築帯を見学した際、静岡市の戦災復興&都市不燃化について田中傑先生のこちらで勉強させていただいた。https://t.co/m0rJpGELkLhttps://t.co/tJtwFcHSkL
— たけうち (@take_housing) 2018年10月13日