松島炭鉱
少し間が空いたが、4月中旬に行ってきた長崎県の炭鉱の島巡り(大島→松島→池島)の続きを。レンタカーで大島炭鉱跡に行って佐世保市で一泊した翌日の朝、佐世保7:22発の池島行き高速船に乗船した。この船は途中で大島や松島に寄港する。時刻表 https://t.co/3uLo9Wdrxg pic.twitter.com/czoD3DhZjH
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2017年5月7日
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早朝にもかかわらず乗客が多くて意外に思ったが、大島で一斉に降りたので理由が分かった。大島造船所の従業員の方々が佐世保市から船で通勤しているのだ。 pic.twitter.com/txPpFhSyyg
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やがて松島が見えてきた。松島は長崎県の西彼杵半島の1km沖に浮かぶ島で西海市に属する。近世から近現代まで炭鉱と捕鯨で栄え、両産業の衰退後に火力発電所が進出した。基本的には穏やかな離島である。 pic.twitter.com/iNTy8vCREH
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船上から見た電源開発 松島火力発電所。橋で本土と繋がっていない完全な離島という珍しい立地条件にある発電所だ。これは後日改めて紹介したい。 pic.twitter.com/sm7wPDE81l
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松島の釜浦港と集落の景観。島は約3km四方なので徒歩で一周できる(バス路線もある)。ただし、土地は平坦ではなく道路のアップダウンが激しい。船着き場にコインロッカーは無し。荷物は全て持ち歩くしかない。水・食糧・防暑対策を忘れずに。 pic.twitter.com/JZS0DbPT94
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船着き場に掲示されている観光地図に加筆。現存する松島炭鉱の主な遺構は、運炭線(石炭を輸送する軌道)のトンネル坑口と、第四坑の施設。あと、山中に発電所〜四坑間の送電線の電柱がいくつか残っているようだが、私は四坑付近の電柱だけ見た。 pic.twitter.com/fF4ev2J4GC
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松島炭鉱発祥の地である山ノ神地区。痕跡は見出せず。名前から炭鉱の守り神である神社があったと思われるが、それも確認できなかった。 pic.twitter.com/bH48NsQqNA
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山ノ神地区の説明板。島の各所にこういう説明板があってとてもありがたい。松島での近代的な炭鉱開発はまず三菱が着手するも断念。それを佐賀県の実業家 古賀善兵衛が1905・M38に買収して第一〜三坑まで開坑。1913・T2、三井が出資して松島炭鉱を設立。これが現在の三井松島産業である。 pic.twitter.com/ZTs7bGq91O
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山ノ神地区には震洋特攻隊松島基地に関する説明板もあった。炭鉱の廃坑道を利用する計画だったとのこと。第一~三坑のいずれかだろうか。火力発電所の建設により遺構は残っていない。 pic.twitter.com/xQk4lhQTar
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これが三井出資後の松島炭鉱が1917・T6に完成した第四坑の遺構。左から守衛室、変電所、巻上機室、手前の柵に囲まれた部分が竪坑跡。そして殉職者慰霊碑が2基。 pic.twitter.com/zHhPLhUNMT
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左から鉄筋コンクリート造の変電所、レンガ造の巻上機室。変電所の方は完成時期が異なると推測するが正確な竣工年は未確認。 pic.twitter.com/VOtpLDwSxy
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巻上機室の内部。以前は中に入れたようだが現在は立ち入り禁止。巻上機を載せていた基礎が残っている。 pic.twitter.com/5OzlhSRGhG
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竪坑の跡。この上に櫓が建っていた。竪坑の周囲も立ち入り禁止。 pic.twitter.com/6uh4kuh6k6
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現地説明板。竪坑は2基あった(ふたつが普通)。 pic.twitter.com/MmHlFo5QED
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説明板の昔の写真とだいたい同じアングルから見た現在の光景。遠くに松島炭鉱が戦後に開発した池島が見える。 pic.twitter.com/57SrTbUTaG
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巻上機室の竪坑櫓側の立面。上部の開口部が中心から若干ズレている。意匠的には妙だが、これは巻上機と竪坑櫓上部のヘッドシーブとの間に架かるワイヤーロープを通すための穴で、設備の位置関係上、こうなったのだと思われる。 pic.twitter.com/zrnybcP1u6
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変電所も最初から必要だったはずで、後年の建て替えなのか、もしレンガ造の巻上機室と同時期の建築ならばなぜ構造を変えたのか。 pic.twitter.com/EyFtqBDLBF
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守衛所。地元の方が四坑跡地や慰霊碑の手入れをしているらしく、その掃除道具が入っている。 pic.twitter.com/LiPyNaqblm
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松島炭鉱の殉職者慰霊碑。第四坑では1934・S9に出水事故が発生して54名が亡くなった。その前の1929・S4には第三坑でも出水事故が起きて41名が犠牲に。また、山ノ神地区の説明板に書いてあったように第一と第二坑も大正時代に水没。第四坑の水没で会社は松島での操業を断念した。 pic.twitter.com/cychHgoNNq
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慰霊碑はもうひとつある。というか、こちらは墓碑かな。 pic.twitter.com/GUSIkcNq5R
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竪坑は2基あったと述べたが、これはそのもうひとつの竪坑跡。見落とさないように注意。草むらの向こう側に前述した巻上機室等の遺構がある。 pic.twitter.com/d3mipuLFe8
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山ノ神地区の隣の内浦地区にあった発電所と第四坑の変電所とを結ぶ送電線の電柱。コンクリート製。 pic.twitter.com/wRrKuU6CgU
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第四坑近くの道路沿いでもう1本見つけた。山の中にも何本か残っているらしいが、そこまで探す気力はなかった。 pic.twitter.com/ylxVow4lSx
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もうひとつの説明板。 pic.twitter.com/YVOtLirzp5
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