呉市の高架下建築
@take_all_a この水路沿いに呉線の高架まで歩いたところ、予想外の光景を見ることになります。高架下建築ですよ。 pic.twitter.com/mZpImNswze
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2015, 12月 5
@take_all_a 案内してくださった地元の方が、呉で最もディープな場所だと。いや、これは驚いた。実に素晴らしい。 pic.twitter.com/p0C77ouFwp
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2015, 12月 5
@take_all_a いまウィキペディア等でざっくり調べたところ、この高架橋は、1935・昭和10年に初代呉線と旧三呉線が一緒になって現呉線として全通した時期の建設と思われます(間違っていたらご教示ください)。 pic.twitter.com/jxijd74fch
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@take_all_a 高架下建築が撤去されたと見られる部分もありました。中長期的には徐々に減っていくのでしょう。 pic.twitter.com/Vx1LfVsLPP
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@take_all_a 呉YMCA側から高架橋沿いに西に進むと、国道487号線の上を呉線が立体交差する地点に着きました。「めがね橋交差点」という場所ですが、この名称と呉線の架道橋は関係ないようです。 pic.twitter.com/bdZICNf7LX
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@take_all_a 橋脚のひとつ。架道橋の名称は「本通架道橋」。 pic.twitter.com/d5g2EmoiKT
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@take_all_a 橋桁のプレート。「鐵道省、汽車製造株式會社製作、昭和九年」と読み取れます。先程、昭和10年と述べましたが、それは当該区間の運行を開始した年であって、橋梁や高架橋の竣工年はその前年と見ていいでしょう。 pic.twitter.com/8IzCaQgc69
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@take_all_a 呉線の高架下建築の場所をGoogleマップで→ https://t.co/bwc12BqfnI めがね橋交差点(左)と呉YMCA横の河川(右)の間の部分です。
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