小倉炭鉱等の慰霊碑
広寿山福聚寺(福岡県北九州市小倉北区寿山町6-7)の墓地内にある「小倉炭鑛殉職者慰霊塔」。建立は1948(昭和23年)。 pic.twitter.com/Bfm5PsKPFC
— タケ@ALL-A (@take_all_a) 2015, 3月 6
@take_all_a 交差したツルハシを図案化したマーク。小倉炭鉱の社章だろうか(未確認)。 pic.twitter.com/KDoR18pMQq
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@take_all_a 同じ墓地で炭鉱関係の石碑をもうひとつ見つけた。小倉・足立・不老妙見の「各炭坑傷病死者追弔紀念碑」で建立は1915(大正4)年。 pic.twitter.com/C4V5nbYdoV
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@take_all_a こちらの慰霊碑にも「交差したツルハシ」のマークがあった。こういうのは何が元ネタなのだろうか。 pic.twitter.com/Zcom9L30xk
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@take_all_a 旧ソビエト連邦の国旗かと思ったが、ウィキペディアの「鎌と槌」の項目によると、この図案が使われるようになったのは「1917年から1918年の間」とのこと。 http://t.co/cnCt4Mp2K3
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@take_all_a また、「鎌と槌」以外にも「複数の道具を交差させたシンボルはそれぞれの団結と共産主義を表すものが多いが、共産主義には無関係なものもある」。
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