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新日鐵 桃園社宅の給水塔

桃園社宅06
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)撮影 1974・昭和49年度
前回お知らせしたように、本家サイトの既出記事「新日鐵 桃園社宅」について、写真追加などの更新を行いました。ところで、筆者がここを訪れたときは各住棟の屋上に高架水槽が載っていましたが、昔は給水塔があったのです。昭和49年当時の航空写真には影がはっきり映っていますね。
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桃園社宅07
福岡県の昭和20年代の団地・集合住宅史をまとめた『福岡県住宅復興誌 I 』(福岡県住宅復興促進協議会)に載っている桃園社宅の写真(撮影時期は不明)にもやや不鮮明ながら写っていて、福岡の団地に多かった逆とっくり型ではないことが見て取れます。

桃園社宅05
その形がはっきり分かるのが『昭和の日本のすまい』(NPO法人 西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、創元社)の写真。これは、「食寝分離」論などで団地の計画に大きな影響を与えた西山夘三氏が、日本中の住宅を撮影した中の1枚で、昭和27年の撮影です。鉄筋コンクリート造の柱の上部が逆円錐状に広がり、その上に鋼製?の球体が載るという構造になっています。団地給水塔サイト「日本給水党」の分類では待ち針型でしょうか。

『建築MAP北九州』(TOTO出版)によると桃園社宅は久米設計が手掛けたとのことですが、配置計画が中心なのか、給水塔のデザインも同社によるのかは分かりません。八幡製鉄所自身も土木・建築の設計陣を抱えており、彼らが設計した可能性も考えられます。

【2013/12/4追記】
上記を受けて、日本給水党党首のUCさんがツイートされた内容を転載いたします。

RT @watertowerUC: 国際建築1955年8月号「戦後十年・アパート設計の歩み~久米建築事務所所員による座談会」という記事の冒頭に、上部が見切れた逆円錐形の給水塔の写真が載っているんだけど、これはおそらく桃園社宅の給水塔だということに今気づいた。
posted at 00:57:28


RT @watertowerUC: 座談会記事には「久米建築事務所設計によるアパート」という一覧表が掲載されていて(といっても住所や戸数等は記載されていない簡易なものだけど)、1950年の項に八幡製鉄社宅群団地計画(49A、50B)とある。久米事務所自身が給水塔の設計までしたかは確認できないけど、(続く)
posted at 00:57:33


RT @watertowerUC: (続き)もし桃園社宅の給水塔が久米設計のものなら、1951年度竣工で同じく久米設計の手による団地でおそらく日本初のとっくり型給水塔が作られた神奈川県公社浦島が丘団地より前ということになる。桃園の給水塔はとっくり型ではないけど、頂部を逆円錐形にした点にとっくり型の萌芽が見られる。
posted at 00:57:38

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1 Comments

T.I  

桃園

偶然お見かけしました。 
1963年生まれです。
まさに写真の右側の棟の四階に住んでました。1968.12から1969.6まで。
台良町の借家からこしてきました。
そのあと君津の団地に引っ越し。
親に聞いたところ、お風呂のスペースはあるので作りたいひとは勝手にどうぞ!というスタンスだったそうです。
父親が小判型の木製の浴槽とバランス釜を買ってきて取り付けたそうです。

2023/10/14 (Sat) 22:10 | EDIT | REPLY |   

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