名島発電所引込線の廃線跡

名島発電所引込線の廃線跡
福岡市東区名島3
撮影 2013年5月
前回、名島運動公園には名島発電所があったという話をしました。ここは石炭火力発電所だったので石炭を運び込む必要があります。その石炭を輸送した引込線の跡が現在の名島商店街です。1枚目の写真は国道3号線の名島交差点で、左手が名島商店街、右手は西鉄貝塚線の名島駅に通じています。もっとも、名島駅側は香椎操車場の再開発で大きく変わったため、当時の痕跡はほとんど残っていません。

歩道橋から見た名島交差点。引込線の現役当時はここに踏切があったはずです。

引込線の廃線跡である名島商店街の道路。



オークラ家具の向かい側に、引込線の歴史を示すプレートがありました。マイナーな郷土史をもきちんと情報提供するのはありがたいですね。

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廃線跡沿いにある九州電力の建物。周辺には他にも九電関係の建物や社宅が点在しています。名島に九電の社宅が多いことは以前から把握していたのですが、それが名島発電所に遡るというのは近代化遺産ファンのみならず団地マニアとしても興味深い発見でした。

廃線跡の道路は丁字路で名島運動公園に突き当たって終わります。

この丁字路を別角度から。左が廃線跡。ちなみに右奥から左手前に続く道路は名島水上飛行場へのアプローチでした。名島水上飛行場は昭和初期に存在した水上機の飛行場で、後に別の空港(雁ノ巣飛行場、現在の雁の巣レクリエーションセンター)が開港したことや水上機の役目が終わったことから戦前か戦中頃に閉鎖されました。戦後、その場所は埋め立てられて城浜団地になっています。

名島水上飛行場に続く道だったことを示すプレート。

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ところで、この引込線は意外なことに現在の西鉄貝塚線(旧宮地岳線)から分岐していました。宮地岳線はもともと博多湾鉄道(後に博多湾鉄道汽船に社名変更、西鉄の前身会社のひとつ)が大正時代に開業した路線です。先に石炭輸送路線である粕屋線(現在の香椎線)を開業した同社は、福岡市近郊の宮地岳線も筑豊の飯塚まで延伸する計画を立てていたものの、それは実現しませんでした。結果的に宮地岳線は旅客中心の路線として営業を続けますが、名島発電所のために一部区間とはいえ本来の目的だった石炭輸送が行われていたとは面白い話です。
次のふたつの地図(右上の方)に、宮地岳線から名島発電所引込線が分岐していたことが描かれている他、国土地理院が公開している米軍の航空写真にも、やや不鮮明ながら名島発電所と引込線が写っています。
- 九州大学総合研究博物館 > ギャラリー > 福岡・博多の絵図 > 近代福岡市街地図 > (20)昭和4年(1929)〈裏〉
- 福岡県立図書館 > デジタルライブラリ > 郷土資料の紹介 > 福岡県の近代地図 > 福岡市復興図
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス > USA-M109-54 撮影年月日 1956/01/27(昭31) 地図番号 NI-52-10-11
また、『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』(奈良崎博保、JTB)の79~80頁に、博多湾鉄道汽船/西鉄が名島発電所への石炭搬入を行っていたとの記述や、その貨物列車を牽引していた蒸気機関車の写真が載っています。
ただし、宮地岳線は直接産炭地につながっていないので、石炭貨物列車は他路線を経由して宮地岳線と接続していたことになります。しかし、どこでどの路線と接続していたかが分かりません。旧香椎操車場(現在の千早駅周辺)で鹿児島本線か博多臨港線と接続していた可能性が高いのですが、それを裏付ける資料は今のところ見つかっていません。産炭地と名島発電所の最短ルートを考えると、糟屋炭田→香椎線→香椎駅→香椎操車場→宮地岳線→引込線→名島発電所でしょうか。香椎線も宮地岳線も元は博多湾鉄道汽船の路線なので、あり得る話だと思います。もっとも、推測通り香椎操車場で接続していた場合、宮地岳線を石炭貨物列車が走っていたのはほんの一部区間だったことになります。
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